091130 働かざるもの食うべからず
敵がいないから、いても強制的に排除してしまうから、向かうところ敵なしなのである。
それと同じ発想なのが、一神教である。
日本人なら、それがキチガイであることがわかるがご当人はそうは思っていないのである。
共産主義は頭のいい人がかかりやすいビョーキだということは分かっている。
したがって、幸い庵主には縁がないビョーキなのである。
キリスト教もけっこう頭がいいと思われ人がかかっているのを見るから、
それはインテリのハシカなのだろう。
共産主義にかぶれて、そこから脱却した人には大人を感じさせる人が多いのである。
人間の裏側が見えている人だという安心感を感じるのである。
共産主義には理想はあっても現実がないから人間が軽く見えるのである。
そのビョーキにかかった人の症状が「働かざるもの食うべからず」である。
その考え方は残酷である。いや、冷徹である。人間否定主義なのである。夢がない。
生き続ける事が生なのに、それは無意味だというのである。本当は無意味だから価値がある。
仕事のない身障者や老人や専業主婦は食っちゃあいけないのか。本末転倒が共産主義である。
仕事から逃れるために呑むお酒は反共産主義だから、主義者は呑んじゃいけないのである。