100101 ヨウの生活
対である。タイではなく、ツイと読む。
一対のことである。
禍福は糾える縄の如し、という。禍と福は絡みあって一対になっているということである。
禍のない福はない。福は禍に裏打ちされているのである。禍も福も同じものなのである。
男女というのも一対だろう。
二つで一つというわけである。対になることで安定している状態である。
安定のことを美ともいう。だから成長期には美はつまらないのである。美は死ともいう。
安定している状態は見た目にはなにも起こっていないように見えるからである。
年を取ると、美に安らぎを感じるようになる。
若い人が美しいというものは、美い〈つまらない〉といった方がいいものが少なくない。
究極の対は、陰陽である。
世の中の真理をたった二文字で言い表してしまうのだから漢字は凄い。
それを庵主は紙の裏表のことだと敷衍しているのである。
裏面のない紙はないということである。世界の構造はそうなっているということである。
紙は、じつは「カミ」なのである。別の時には神と書くこともある。
その伝で、陰陽は、実は「飲と酔う」なのである。庵主は真理を味わっているのである。