10-01-22 「〆張鶴」の気魄
それを「ブロジェクト×」ともじるのである。X〈エックス〉でなくて×〈バツ〉である。
「〆張鶴」である。「メ張鶴」ではない、メ〈め〉ではなく、〆〈しめ〉である。「しめはりつる」である。
封緘のときに〆を、X〈エックス〉とか、×〈ばってん〉と書く人がいるが〆と書くのが正しい。
お酒のうまさはどこにあるかというと、庵主はそのお酒に籠められた気合にあると思う。
もっとも、気合→うまい、ではなく、うまい→気合、という関係である。
すなわち、お酒に造り手の気合が籠もっているからうまいのではなく、
うまいと感じたお酒に気合を感じるということである。「うまい」の正体が気合なのである。
では、その気合とは何かということである。
それは、うまいお酒を造るぞという意志のことである。呑み手からいえば共感である。
その意志がたまたま成就したお酒がうまいのである。原因がうまいのではなく結果がうまい。
造り手と呑み手の至福のことである。手を携えて喜ぶのである。口福との出会いである。
その造り手の意気込みのことを気魄という。うまいお酒を呑ませるぞという心遣いである。
「〆張鶴」「しぼり多て(製造年月日 10.01.05)」のラベルからその気魄が伝わってくる。
「弊社では製造より1ケ月間を賞味期限としてお勧めいたします。」と太字で大書してある。
以前「すず音」が1週間以内に売ってくれといって酒屋を泣かせていたが、その心意気やよし。