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2010-03-08 オリンピックは参加することに

バンクーバー冬季オリンピックが終わった。
日本のメダル獲得数が少なかったことを嘆いている人(花岡信昭氏)がいる。
日本は、もうそんなもので国威を発揚する次元は終わっているのにである。
金持ち喧嘩せずという。いまや日本は飽食、小金持ちの大人になった国なのである。

戦争じゃないのだから、五輪では競争相手の健闘を讃えるのが大人の対応なのである。
キム・ヨナはよくやったと素直に褒めて上げる器量をスポーツというのである。
ただ勝てば良いというのでは野蛮・野卑・野獣の世界ではないか。西洋蛮教の原理である。
そんなものは餓鬼の喧嘩である。朝青龍の相撲がつまらなかったのはそれだったからである。

いやそれだから面白かったのか。日本人には珍しい生き物を見る面白さである。
日本人にはああはなれないねぇ、下品だねぇという、見物の優越感を擽る見世物なのである。
勝てなかったことの悔しさがスポーツなのである。敗者がいるから面白いのである。
高校野球でPL学園などの野球高校が優勝しても面白くないのは敗者の涙がないからである。

勝って当たり前では感動がないからである。見物を喜ばせる要素がないからである。
五輪はキリスト教の祭典だからイスラム教徒はあまり参加していないとは永(六輔)さんの話。
参加することに意義があるのである。日本の役員参加者が多いのはその精神を讃えてである。
その数でなら韓国に圧勝している。白人趣味の商売五輪なんか酒の肴にもならないのである。

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選手の数より多い役員をオリンピックに派遣できるというのは国の余裕の証である。
小国にはそういうことは逆立ちしてもできないことである。だって、無駄だもの。
金メダルは金〈かね〉でも買えるが、そういう余裕〈ばか〉は本当の実力がないとできない。
日本人は着物は裏地で本当の贅沢をする。オリンピックにおいても、である。牽強付会。

by munojiya | 2010-03-08 01:49 | 世話物 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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