2010-03-18 造飲分離
製造(メーカー)と販売(ディーラー)を一社で行なわず、それを別の会社でやることである。
それに倣って庵主が造った言葉が造飲分離である。
酒は、造る人と飲む人は別になっているということである。
それというのも自造自飲は法律で禁止されているからである。
なんで、自分で呑むお酒を自分で造ってはいけないのか。
酒なんか、簡単に造れるというのに。その製造に何ら危険性なんかないのである。
蒸した(炊いても可)米に麹と乳酸と酵母を加えて水にひたしてかき混ぜるだけである。
醗酵した醪は搾らなければどぶろく、搾れば清酒である。
酒造りを禁止するのは人権侵害なのではないのか。否、それは生存権の否定である。
自分が食う物を、自分で造ってはならないというのは天理に悖るからである。
そう思っていたのである。
しかし造飲分離は呑み手にとっては好都合なのである。いいお酒が安く手に入るからである。
ただ造っている人がこれは美酒だと満足していても、呑み手がそれを美味いと思わない酒なら
そんなものを大量生産しても意味がない。大手酒造メーカーはそれをやっているのである。
孤高の画家が、庵主が見たら味気ない絵を量産しているのを見る哀しさと同じである。
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ちなみに、像音分離の実例はこちら(映像です。音が出ます)。非常によく分かります。