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酒師(さかし)

また一つ「むの字屋」だけの言葉を造ってしまった。
酒師(さかし)である。
うまい日本酒を
真っ当に造る人たちのことである。

それは杜氏をはじめとする造る人のことである。
そしてそういうお酒を見つけてくる人のことである。
さらにそのお酒を呑ませてくれるお店の人のことである。
うまいお酒に憑かれた人たちのことである。

うまい酒を造る奇特な人がいる。
その酒を見つけてくる酔狂な人がいる。
それを呑ませてくれる親切な人がいる。
と庵主はホームページの入口に書いたのである。

うまい酒を求めてやまない人たちのことを酒師と呼ぶことにする。
そしてそれを評価するのが呑み手である。
酒は呑まれたときにその評価は定まる。
いくらいいお酒を造っても呑み手がいなければ無いのと同じである。

むかしゴッホの絵は
ゴッホが生きているときには1枚しか売れなかったという。
が、死後その作品は
高く評価されるようになったことはよく知るところである。

ゴッホの絵もまた
描かれてからすぐのものは新酒なのでだれも呑まなかったが、
何十年かの熟成をへて
やっと呑めるようになったというのであろうか。

そうではあるまい。
その絵を評価できる人がいなかったということだけのことなのである。
いいお酒もまた
それがわかる人がいないと宝の持ち腐れなのである。

呑み手こそがお酒の質を決める最大の要素なのである。
ようするにうまいお酒を呑みましょうということである。
庵主が、お酒が呑めないのにも関わらずまるでそれが好きかのように呑み続けるのは
日本酒というわが国の文化をより高めたいからにほかならない。

それを支持する人たちの要求水準が低いと
いいものができないからである。
テレビ(受像機)がそうである。
電器店にいっても魅力的なテレビがない。

身近に置きたいと気持を起こさせるデザインのテレビがないのである。
虚仮威しばかりで、5分で見飽きる絵画のようである。
もっともテレビの場合は
その番組自体がどうでもいいという致命的な欠陥があるのだが。

お酒の
文化としてすばらしいところは
それが
呑んだらなくなってしまうというところにある。

滅びていくものを造り、
それを愛でて、
その心を語り伝えるのである。
しかもそれが味わえるということがすごいのである。

美しい宝石もせいぜい見るだけの楽しみである。
しかし、お酒は呑めちゃうのである。
すなわち芸術を自分の身の内にすることができる。
お酒を呑むということは芸術の心を知るということなのである。
by munojiya | 2005-06-28 23:26 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


by munojiya