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2010-11-26 新聞を読んで 霜月(2/3)

仕事は、形を造るまでが面白いのである。
それがヒットすると、同じ絵柄の絵を量産する画家がいる。
出来上がった絵の自己複製を描いてなにが面白いのかと庵主は思うが。生活の資なのかも。
「聖教新聞」を眺めながら、新聞のレイアウトも見事に完成していると感心するのである。

日本語の新聞は縦書きである。それだけで活字信仰の信者には嘘が真実に見えるのである。
横書きの新聞だったら庵主は端〈はな〉からその中身を信じようという気がおこらない。
横書きの日本語は広告のパンフレットにしか見えないのである。文章が軽く見えるのだ。
美辞麗句がちりばめられた嘘ごっこという感覚である。真剣味が感じられないのである。

お酒を呑んでいるようなものである。
酔いが回ると、人間の汚い部分はどうでもよくなってしまうのである。
だから幸せ気分になれるのである。お酒を呑むということは真剣味からの逃避なのである。
その幸せ気分をぶち壊すのがまずい酒である。だから庵主はまずいお酒は嫌いなのである。

新聞のフォーマットは完成しているから、中身がない記事でもそれらしく見えるから怖い。
長く同じスタイルをやっていると記事なんか現場を見なくても書けるようになるのである。
そのスタイルの呪縛を拭うのは一に記者の意欲に掛かっているが、記者の養成は難しい。
当「むの字屋」のスタイルもかなり前に書いたとおり、すでに終わっているのである
by munojiya | 2010-11-26 00:23 | 世話物 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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