2011-02-05 大相撲八百長疑惑
賭博に関係した力士の携帯電話の通話を調べていたら、
こんどは相撲の八百長が発覚したという。
星の貸し借りだか売り買いをしている記録が残っていたらしい。
それが問題だというのである。
庵主には、なにが問題なのかが分からないのである。
八百長が問題になるのは、公営賭博のように、それが賭け事の対象になっている場合である。
お金が掛かっているから不正はあってはならないのである。
八百長が許されるなら、一部の人が不正に利益を得ることになるからである。
「座頭市地獄旅」の中の市っあんのセリフ。壺を振る市はわざと囮の骰子を壺の外に落とす。
それを見て勝ち目に張った鴨に「博打というのは、結果が判らないことに賭けるものですよ。
判っている目に賭けるのは博打じゃない」。晒した骰子を袖にしまって壺を開けるとその逆目。
大相撲は公営賭博の対象になっているのか。なっていないのである。
大相撲は興行団体なのである。そこではショーマンシップのことを八百長と呼ぶのである。
お客さんを楽しませることをいうのである。八百長が判るようになったら一人前の客である。
お酒を呑んで、酔っぱらったじゃないかと難癖をつける呑み手がいたら手に負えない。
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さては警察内部で相撲の勝ち負けで賭博をやっていたのかもしれない。負けた警官の腹いせか。
こういう構図らしい。暴力団の資金源を断つというのが八百長問題の核心らしいのだが。
暴力団は、力士をさそって野球賭博で勝たせる。負けたときはお金を取らない。
その替わり、相撲で八百長を組ませる。暴力団はそれを賭けの対象にして儲ける。
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大相撲の八百長を指弾するといって相撲協会にたかっている人達の方が八百長じゃないのか。
その顔ぶれの略歴を見るとみんな腹に一物の御仁〈うさんくさい〉ばかりなのである。
こんどの「正義」も、警察・検察の天下り先作りが目的なのだろうという賢明な見方がある。
その思惑が読まれている芝居のことを八百長というではなかったっけ。
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そもそも『八百長』という言葉は、英語で表現できない微妙なニュアンスがある。
というのはデーブ・スペクター氏である。産経ニュースによる。 ●魚拓
アメリカの大統領選挙と訳せば全然問題ない。微妙なニュアンスもよく解るはずである。
スペクター氏はアメリカ人のはずだが、米国事情には「疎い人」らしい。