2011-04-13 酔えないお酒、酔わない酒 上
大地震による心の余震が日本人をおののかせているからである。
心の余震とは大地の揺れではなく、地震によって生じた心の揺れのことである。
大地は命である。人の心はその命と一体なのである。その大地が激しく動揺している。
この先どうなるのだろうかという不安をいだいた心が酔いを妨げるのである。
お酒を呑んで酔えるうちは幸せだということが分かったのである。
花見でお酒を呑みましょうといっても、酔えないお酒で花見をしてもつまらないのである。
幸い今年の桜はある日ぱっと開いて、強い風でさっと散るのである。
花見をしようと思ったときにはもう葉桜になっている。味気ないのである。
そのせわしない、というか、せっかちな、というか、慌てふためいた開花に
人はまたいつもとは違う桜の様〈さま〉を感じて不安につなげてしまうのである。
どうせ酔えないのなら最初から酔わない酒でもいいじゃないかと割り切る人もいる。
それを逆から言えば、お酒をおいしく呑むコツは不安を抱かないということである。
またいつ大地震が起こるか、放射能がどう拡散するか、分からないことを心配するから
不安がふくらんでその緊張感で酔えなくなるのである。呑んでもうまくないのである。
庵主がいつもお酒がうまいのはその日暮らしの性向による。今を存分に楽しんでいる。
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知性とはこれから起こる事を予測する能力だが今英知の人が慌てふためいているのである。