2011-05-01 水をワインに変える男
科学的にそれを説明するなら手品だということになる。
そういう器用なことをやる男はこの人である。
関係者に言わせると立派な人だったという。本人ではなく関係者が自画自賛しているである。
その人がやったとされることの奇跡の多くは手品でもできることばかりなのである。
手品にはサクラというやってはいけないことになっているテクニックがある。
それを上手に使われると疑うことを知らない人には奇跡に見えることがあるのである。
盲が目が見えるようになったり、跛が治るのもその原理が使えるのである。
いまでも大地震が起こることをちゃんと予言することを芸にしている人がいる。
もちろん、大地震が起こってから予言していたと声高に主張することは言うまでもない。
人を楽しませるテクニックの原理は昔から進歩がないのである。
物語という嘘出鱈目が今でも人の心を楽しませるのである。和ませるのである。
そういう話を上手に作れる人は褒めそやされるのである。詐を創る作る家元で作家と呼ぶ。
人間の感性も全然進歩していないということである。上手にだましてほしいのである。
庵主はというと、お金〈たから〉をワインに変えてしまうから身持ちがよくないのである。
立派な人間にはなれないのである。今は、お金を義捐金にできる男が偉いのである。
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気持を金で示すというのは品がないから庵主は被災地のお酒を呑んで義捐に代えるのである。
特殊な業界=誠意を示して欲しい。
宗教業界=御布施は気持ですから。
言っていることは同じである。いずれも関わり合いになるのは身の不運といえる業界である。