2011-05-08 釈迦の遺言
仏を礼拝するな。
自己と法(真理)を依り所にせよ。
修行者たちよ、無常迅速怠りなく精進せよ。(大般涅槃経より)』出処(米欄)
あれっ、今日本で行なわれている仏教というのはだれの教えを伝えているのだろうか。
僧侶というのは、今の言葉でいえばニートということになるのだろう。
御布施(生活保護)で生きている遊び人のことである。
よくいえば社会の余裕分子である。奢華〈しゃか〉に導かれているのかもしれない。
戦争は、生産力の余力が生まれてからはじまったという。
たしかに、食っていくだけで精一杯の生活なら戦争をするお金があるわけがない。
社会にニート(僧侶)を養う余裕がなければ、仏教なんかとっくのとうに滅びているはずだ。
坊さんがみんな餓死してしまうからである。
御布施から、葬式を受け持つことでお金を稼ぐようになったのは進化したといえるだろう。
それもまた進化はしたが中身は劣化しているといういう実例である。
お酒もまた、米の余剰が出るようになってから出回るようになったのである。
人は過ぎると碌なことはしないということである。苦悩を解消したいなら早く死ぬに限る。
-----
「新約聖書」はキリストが書いたものではない。「論語」も孔子が著したものではない。
お経も釈迦が物したものではないから、それらは弟子の思惑にすぎないのかもしれない。
庵主は、宗教というのは娯楽の少ない時代の総合エンタメだったのだろうと思っている。
僧侶というのはその芸人なのである。ハッタリがその商品である。嘘も方便の世界である。
-----
『「そんな成績じゃ不幸になりますよ」
↓
「そんな学歴じゃ不幸になりますよ」
↓
「そんな職場じゃ不幸になりますよ」
↓
「そんな年収じゃ不幸になりますよ」
↓
「そんな配偶者じゃ不幸になりますよ」
↓
「そんな老い方じゃ不幸になりますよ」
↓
「そんな死に方じゃ不幸になりますよ」
マスメディアは国民を不安にして
不幸に追いやる牧羊犬のよう。』(同上)
まず脅せ。そしてこれを信じれば救済されると言って御布施を集めろ、である。
宗教商売繁盛繁盛。口先一つの商売というのはエンタメの分野なのである。
「酒は毒なり」。まず、脅せ。「無闇に呑めばそれは命を削る鉋〈かんな〉なり。
しかし、うまいお酒を選んで呑むならその毒は至福に転化〈てんげ〉するのである。
ならば、うまいお酒を知りたければ我に御布施を給れ」なんて庵主は言わないのである。