人気ブログランキング | 話題のタグを見る

2011-08-04 呑み手の肩書

お酒をもっともらしく語る人を何と呼ぶかということである。不粋と呼んだらそれまでだが。
一番無難な呼び方は「日本酒評論家」といういうことになるのだろうが、
庵主の場合はそれに当たらないのである。
“評論”をしても一銭の実入りもないからである。だから勝手なことが書けるのであるが。

お酒を語ることは「グルメ(愚留奴)」に内包されるから「評論家」と呼ばれても威張れない。
音楽の世界では、アイドルポップスが馬鹿にされることに似ているのである。
「アイドルポップス評論家」なる肩書を見たらつい下に見てしまうのである。
同じものを「音楽評論家」と呼ぶとなんとなく箔がつくのである。

「映画評論家」に対して、淀川長治のようになんでも褒める人は「映画解説者」と呼ばれる。
が、その「映画評論家」の地位が低い。金に靡くからである。それ自体が宣伝だからである。
映画を貶したら次に只券が回って来ないからその“評論”はどれも好意的な言説なのである。
そんな評論じゃ役に立たないから「映画評論」は「こうこく」と読むのである。

では自由な映画評論をする人は何と呼ぶか。「映画愛好家」(麻生氏)という肩書があった。
庵主の場合はその伝で「日本酒愛好家」なのである。その立場は呑み手にある。
美味いか、不味いか、である。好きか、嫌いか、と言った方がいいか。
呑み手の理に与〈くみ〉するということで、「呑手与理〈のみてより〉」なのである。

-----

「呑手与理」のルビは「わがまま」といったところか。

-----

1996年、「映画秘宝・底抜け超大作」に載った中原昌也の原稿の事実関係の間違いを、
老舗の映画雑誌「キネマ旬報」の副編集長が「こんな映画いじめの雑誌はダメだ」と批判した。
それに対して町山はキネ旬編集部に乗り込み、シェービングクリームで作ったパイを副編集長
にぶつけた。
ウィキ

by munojiya | 2011-08-04 00:24 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


by munojiya