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呑めない男

煮ても焼いても食えない男というのは
あきれた気持ちが半分と一目置かざるを得ないという気持が半分である。
それにひきかえお酒が呑めない男というのは
つまらない人間の代名詞である。

正しくはその人間がつまらないのではない。
親しい気持で声をかけたときに
理由もないのに無下にされたような
味気なさが残るということである。

酒が呑めない男がいる。
それはそれでかまわない。
呑まなくてもすむのなら
それにこしたことがない。 

酒を呑んでも利口になるわけではない。
それで儲かるわけでもない。
すこしは智恵がふえるというものではない。
ただ時間を無為にすごすという快感がたまらないだけである。

アルコールで体をいためては
呑み過ぎると肝臓を壊すだけである。
酔いの制御ができない人は
まわりの人に迷惑をかけるだけである。

しっかり時間を過ごせる人なら
お酒の力を借りなくてもいい。
べつに一人や二人お酒を呑めない男がいても
世の中少しも困らないのである。

ただ、
「呑むかい」と
声をかけたときに
「不調法ですから」と返ってくるとさびしいのである、酒呑みにとっては。

呑めない人に
本当に呑めとはいわない。
呑みたいときにつきあってくれるということだけで嬉しいのである。
そういう気持がすっと返ってくるということが心に叶うのである。

うまいお酒の呑み方の第一は
いい呑み手と一緒に呑むことである。
そういうときは
ひどい酒でもおいしく呑めるからである。

永六輔(誼がないので敬称略。以下同じ)はお酒が呑めないという。
宮崎康平にお酒を勧められたという。
呑めないといって断ったら
宮崎康平は怒ったという。

この土地の酒が呑めないような男は信用できない。
この土地の米で造った、
この土地の水で造ったお酒はこの土地の風土である。
その風土になじむことを拒むということは俺を拒むことだという。

呑めない永六輔は
目が見えなくなっている宮崎康平の前で
呑んでいるふりをしたという。
「呑んでない」と喝破されたという。

大盃を持ち出してきてなみなみとお酒をつぎ、
酒を呑むということは
その酒の上を渡る空気を吸うことだと教えてくれたという。
大盃の上を渡ってくる空気を吸っただけで永六輔は酔っぱらってしまったのである。
by munojiya | 2005-08-03 23:46 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


by munojiya