人気ブログランキング | 話題のタグを見る

2011-10-03 お涙頂戴

映画館で予告編観て号泣してしまった...』とそのコメント欄にあった。
庵主もこの映像で十分泣けたのである。その映像に触発された別の思いによってだが。
万物に神〈いのち〉があると感じる日本人でなければ泣けないのじゃないだろうか。
で、日本人度を自覚するための映像がこれである。音有り、クリックに注意である。

庵主が泣けるネタには、「前畑ガンバレ!」がある。
ラジオの、ベルリンオリンピックの水泳の実況中継である。
「勝った、勝った、前畑勝った!」で泣けるのである。
で、それは何に対して勝ったのかと素面になって思うとそれが分からないから可笑しい。

東京オリンピックの開会式の実況中継も聞くと泣ける。
古関裕而のマーチが始まると、これまた別の思いで泣けるのである。そして各国選手団の入場。
その途中は飛ばして国立競技場に最後に日本の選手団がはいってくる場面で泣けるのである。
思えば、勝てるものがあった時代は幸せだったのだ。今は懐旧に浸る自分に泣けるのである。

一方、お酒の楽しみは、この先を期待する未来指向なのである。無くなった酒は呑めない。
お酒は憂いを払うという。いいお酒は、払った上で希望を湧かせてくれるのである。
少なくとも、生きていればまたうまいお酒が呑めるのである。
お酒を呑んでいる時は何かに勝つ必要がないから心が安らぐのである。安心を幸せという。

-----

庵主が、勝った勝ったの宗教にはなじめない理由である。手段と目的を取り違えていないか。
庵主が競技スポーツに興味がない理由も同根だと思われる。その面白さは別の所にあるのだが。
勝てばいいのなら、「英知」を尽くして勝つ韓国のサッカーでも許されることになる。
それはおいしい勝ちだとは思えない。韓国人はその程度のうまさで酔えるのだろうか。

-----

別の所とは、多くの芸術は過去指向なのに対して、生のスポーツは未来指向の面白さである。
小説も映画も過去に作られた物を現在楽しむという過去の再現である。懐旧感なのである。
すでに結論は決まっている安心感である。そこに本がありフィルムという不動の結果がある。
スポーツには一寸先は闇という未来に直面する面白さが、いいスポーツにはあるのである。

-----

庵主が文末を「あるのである」で締めるときは、半分冗談のときである。
そんなことはないという否定表現でもある。
生のスポーツには何か起こるかわからないというワクワク感があるが、多くはそうではない。
かえって過去に作られた物を見た方が面白いことの方が少なくないのである。

「いいスポーツがあるのである」の「あるある」は、そういうことがないこともないという
意味である。書くならば「←二重否定のあるある。」ということになる。
生の現在を実感する楽しみがスポーツの面白さだから、終わった試合の中継録画は
そのおいしいところがないからて見てもつまらないのである。気の抜けたビールなのである。

by munojiya | 2011-10-03 00:05 | 世話物 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


by munojiya