2011-12-04 番外篇 だいびゃくれんげ
漢字では「大白蓮華」と書く。“真っ白い”白い蓮(架空の白)を思わせる当て字もいい。
その言葉を創価学会が押さえているのが惜しい。
折角の清純なイメージが特定の宗派が独占していることで色が着いてしまったからである。
創価学会だから、それは青、黄、赤と、巷の紅灯みたいな下品な色になってしまったのである。
結婚した吉永小百合みたいなものである。イメージが汚〈けが〉れてしまうのである。
庵主にとって、大白蓮華という言葉のイメージは若き日の吉永小百合なのである。清純である。
そうか、清純とはそれを独占したいという気持のことをいうのかと、はたと気がついた。
人に対して独占欲を持つと相手に迷惑がかかることがあるのである。←よくある、あるある。
その点、庵主はそれがうまいお酒に向かったものだから煩悩の大半から解放されたのである。
犬とか猫とか「意志」のある物に独占欲を向けると裏切られることがあるから大変である。
お酒なら、自分の思い通りになるから気が楽なのである。葛藤がないから心が乱れない。
「りっしゃくじ」という音感も好きだ。
立石寺と書いてそう読ませるとカッコイイと思って調べてみたらそういう寺が本当にあった。
「りきんき」というのも好きだ。なんとなくおいしそうな響きがある。「李錦記」と書く。
「かおうきん」も華を感じるので好きである。何応欣である。華櫻欣と当てた方がいいか。
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愛は究極の独占欲だから、こけるとその反動も小さくないのである。また損失エネルギーも大。
また、愛してくれる人が嫌いな場合には、その人からの愛は迷惑の極致なのである。
庵主にとっては、池田大作名誉会長も、イエス・キリスト祖師も嫌〈キモ〉い。塩一振りである。
尊師に至っては前総理の顔同様にその顔を見るだけでも吐き気がするのである。塩三振りだ。
実は、うまいお酒を呑むということは、汚いものを見ないということなのである。
汚いものは心の乱れを起こす悪因になるからである。それが真実であっても体調が悪くなる。
つまり、体によくないということである。庵主が好きな語感は体の乱れを正す言葉なのである。
酔えば世の中の煩いは払われるのである。まずいお酒は呑めば却って体に悪い謂いである。