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2011-12-31 番外篇 著作権ヤクザ

ついにジャスラックの呼び方が「著作権ヤクザ」になってしまった。
音楽業界は、なんでも「著作権」で囲ってしまうものだから、
庵主はいま、どんな音楽が流行っているのか分からないのである。
只で、自分たちが作った楽曲を放送するな、流すな、唄うなというのである。

せっかく作ったいい歌も、そのせいで誰も口ずさまないものだから庵主の耳に入ってこない。
したがって、庵主は最近の歌を知らないのである。
庵主が知っているのは数十年前の流行り曲だけである。
いよいよ、ジャスラックは、楽曲演奏禁止の挙に出てきたという。

人々から、著作権の名において音楽を奪うというのである。
それでついた綽名が「著作権ヤクザ」。
文士もそれに負けてない。自炊を禁止せよという。
その文士さんは、その表現とやらを他人が作った「活字」を只で使ってやっているのである。

他人の著作権は平気で無断借用しておきながら、自分の書いたものは自分の物だという。
その下手糞な自筆の原稿を写真製版して売ってご覧。それを読もうという人は少ないから。
他人の物は俺の物、俺の物は俺のものである。都合のいい著作権である。
うまいお酒は著作権フリーである。大いに呑んで、世間にうまいお酒を喧伝してほしい。

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これは俺が造ったお酒だ。勝手にうまいと喧伝してもらっては困るという造り手はいない。
著作権の縛りが一番キツイのは映画である。そのくせ、映画屋は映像を個人に売り出している
のである。個人は勝手に駒を止めて見ることができるのだから、自ら著作者人格権を放棄して
おきながら、都合のいい時だけは著作権を主張するのである。だったら個人に売るなよ。

著作者人格権というのは、著作権の核心である。著作権は他人に譲渡できるが、著作者人格権
は譲渡できない。作り手の気分を損なうなという主張である。本で言えば、活字の書体の選択、
版の組み方もそれに当たる。ところが、ネットでは、画面の活字は拡縮自在だから、読み手が
勝手に活字やレイアウトを変えることができる。容易に著作者人格権を毀損できるのである。

ネットに自分の文章を上げることはその時点で著作権を放棄したとみなせる行為なのである。
ネットにある文章はごみ箱に捨てられたゴミと同じなのである。
中には価値のあるものも間違って捨てられているといったところか。
映画の著作者人格権でいうならば、駒を止めて見ることを前提に作られていない。

「エイリアン」の映像盤を買ってきて、駒を止めてエイリアンのデザインを見る人がいた。
それって、著作者人格権の侵害行為だろう。盤を売ることはそれを容認したということなので
ある。映画の著作権を全うしたいのなら個人に映像盤を売るのは間違っているのである。
盤を売りまくっているということは自ら著作権の保護を放棄したと見做すしかない。

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ジャスラックの愛称が『カスラック』(25番)。
自ら自分の飯の種になっている芽を潰すよくわからない団体』(76番)
音楽を殺してるのは誰か』(71番)。
流行歌に関してはすでにそのピークを過ぎているからほとんど実害はないのではあるが。

by munojiya | 2011-12-31 00:14 | 世話物 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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