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2012-03-19 放射能恐怖症の人のための文章

「今ヨーロッパには共産主義という名の妖怪がはい回っている」というのは昔の言葉である。
その言葉を借りると、「今日本には放射能恐怖症という妖怪がはい回っている」という所か。
福一の大爆発は、日本人の埃と地震を喪失させたのである。おっと誇りと自信だった。
その後は何をやるにしても放射能が頭から離れないからである。

大地震後の地域復興の意気込みも放射能に対する不安の前には今一つ力が入らないのである。
気力が湧いてこないのである。不安を前提とした希望なんかありえないからである。
酔えない事が分かっている「お酒」を呑んでも楽しくないのと同じである。
酔えないという展望の前にあってはお酒を呑むこと自体が馬鹿馬鹿しく思われるからである。

腹が減っては戦ができないというが、放射能が怖くては復興の手さぐりもできないのである。
放射能に脅えていると何事も前に進まないのである。
前に進まないのならまだいいが、気持が萎縮して考える事が後退しかねない。
そういうときには楽天的な人が書いたものを読むのがよろしい。

ということでこれである
希望が湧いてくるのである。
しかし、原爆の一時的な外部被曝と、だらだらと続く内部被曝を同列に考えるのは間違っている
という考え方もあるのである。さあ、どっちに付くか。まあ、一杯呑みながら考えてみようか。

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お酒(アルコール)は毒だという事は分かっているがだれもそれを恐れないのである。
それというのも、先人が身をもってその危険性の限界を証明してくれたからである。
しかし、放射能(放射線)の危険性の限界が誰もよく判らない時には、意見は別れるのである。
歴史を繙いても前例がないから困った。さあ、危機管理好きのお歴々はどう考えるのかなぁ。

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「脱原発のウソと犯罪」(中川八洋)(日新報道)が出ました。
エセ科学者として小出裕章・武田邦彦・小佐古敏荘・児玉龍彦の言っていること
[が]
全くウソ・矛盾に満ちたものであることを完膚なきまでに暴かれています。』(同上)。
そういう説もあるという。どっちの言い分が正しいのか。庵主には知る由もないのである。

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恐い話が好きな人にはこれである。東京に住んでいる人のためにはこれだろう。
放射能も恐いが、それよりもっと恐いものがあるというのである。アスベストである。
枝野官房長官が一度嘘をついたために、その後の政府の発言が信用されなくなってしまった
のである。というより今でも嘘をつき続けているのだろうというのが庶民の読みである。

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冒頭の言葉は「一匹の妖怪がヨーロッパを徘徊している、共産主義という妖怪が。」が原典。

by munojiya | 2012-03-19 00:01 | 世話物 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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