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2012-06-19 「職安」は「差別用語」か

だいたいはその言葉を使わない、違う言葉に言い換えるということをしています。例えば、
精神分裂病のことを統合失調症、職安のことをハローワークと言ったりしますが、言い換えに
よってイメージもガラっと変えてしまうから、それが良い効果をもたらす場合もあります。

出典)。

商業メディアでは使われない言葉、換言すると抹殺された言葉が「差別用語」である。
この「差別用語」は「差蔑用語」のことである。「差別用語」は「差蔑用語」に含まれる。
笑っちゃったのは、ハローワークとは「職安」の言い換え言葉だと部分である。
仕事に就くことは賤民のやることだという発想なのだろう。いうなれば朝鮮人発想である。

吉本のタレントである河本準一〈こうもと・じゅんいち〉や梶原雄太〈かじわら・ゆうた〉は、
白丁(賤民)なんかではなく、両班〈貴人)の生活を母親にプレゼントしたというわけである。
日本人は働き中毒とされている。働いていないと間がもたないのである。その点、朝鮮人は
働かないでも時間を潰せるのだから文明的には一つ上をいっていると言えないこともない。

その一方で、“障害者”や“醜いさま”を表す「かたわ」という言葉は平安時代より使われて
いる歴史的語句ですが、こういった言葉についても封印されてしまっている。
』(同上)。
お酒の世界では、「うまい」と言う言葉を封印しそれを「安い」という言葉に言い換えている。
それで日本人はお酒が本当は「うまい」ものであることを知らない人が少なくないのである。

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南北ベトナムが一つになり、東西ドイツでさえ一つになった今、依然として南北の民族統一が
できない朝鮮人は「民族分裂病」ということになる。融和できない民族〈ちすじ〉なのだろう。
それを言い換えると「統一失調症」というわけである。朝鮮人自体が病気だということである。
「病身舞」とはそのありさまを、すなわち己の性〈さが〉を嘆いて踊る姿をいうのだろう。

その手の患者には関わるなというのが先哲の教えである。
韓流ブームは朝鮮人のそういう不幸な実態を浮き彫りにしてしまったのである。
日本にやってきて新生を求めた支那人が大和の心を得たのに対して、同じく新生を求めて
日本にいる朝鮮人はその性ゆえに大和の心に至らないことで「寄生」と呼ばれるのである。

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「寄生」というのは、「只で貰えるものなら貰っておけ」という思考のことである。
理想の日本人像というのがあって、その自信が弱まっているときに、理想像を際立たせる
ために対極の「悪」を叩くのである。その「悪」が朝鮮人だったというわけである。
景気が良かったときはそんな「悪」も呑み込めるほどに日本人は元気が良かったのだが。

これは庵主の仮説であるが、日本人は雑多な民族の寄り集まりだから、大和(「だいわ」とも
「やまと」とも読む)の心にならないとまとまらないのである。
逆から言えば、大和の心になれない人でないと会員になれない倶楽部なのである。
支那人とか朝鮮人は血筋だが日本人というのは「ユダヤ人」の対極にある「ユダヤ人」なのだ。

中国残留孤児」という言葉はマスコミで使われているから「差別用語」ではないのだろう。
しかし、それは「国際連合」という言葉と同様の「嘘言葉」なのである。
最低でも「満洲残留孤児」と呼ぶべきだろう。しかしそれでも「差蔑用語」に表現が似ている
から言い換え言葉ならぬ実正用語(差蔑感情を含まない言葉)に変えるべきなのである。

もっとも、お酒なら、「本醸造酒」を実正用語にしたら身も蓋もなくなるか。
TVの笑えるところは、「差別用語」は厳格に使わないのに、オカマとかお笑い芸人とか電波
芸者〈ヨイショげいしゃ〉とか、目で見る「差蔑用語」は平気でさらしているところである。
「差別」とは美意識による取捨選択のことであると庵主は思っているから避けるだけだが。

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表現って、必ず誰かを傷つける可能性を秘めています。だから差別語を使って個人攻撃は
しないとか、必要最低限のマナーは必要だけど、あまり神経質になって使わないというよりは、
逆に今後は積極的に使っていくべきだと思います。
』(典拠)。
生きるとは他の命を奪うこと、書くとは必ず誰かを傷つけることなのである。

庵主は「うまいお酒」を讃えることで、数多くの「まずいお酒」を、すなわちそういうお酒を
造っている人を傷つけているということなのである。
究極の差別用語である「ブス」「デブ」「チビ」(BDT)という言葉が「差別用語」とされ
ないのはその数が多いからである。まずいお酒もそれだから差別しても問題ないのである。

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よく考えてみたら、個性を尊重するということは、他から差別されるということなのである。
個性を生かす教育なんかやるから差別が拡大するのである。恥とは個性の別名である。
お酒が「特定名称酒」という個性を生かしたために、昔なら、ただ「お酒」とあっただけ
のに、今では、銘柄・造り・米違い・精米歩合から選ばなければならなくなったのである。

「獺祭ちょうだい。本醸造でいいや」
「獺祭は純米大吟醸しか造っていませんが」「じゃそれでいいや」「精米歩合が50、45、
39、23%とありますが、どれになさいますか」「50でいいよ。雄町はあるかな」
「山田錦だけです。」。昔なら「お酒ちょうだい」「うちは獺祭なんです」ですんだのに。

by munojiya | 2012-06-19 00:02 | 酒の肴 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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