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2012-09-21 知性と品性は一致しない

永六輔師がこんなことを言っていた。
年賀葉書は、旧正月に出そうという提案である。
元旦に合わせて年賀葉書を出すのは、たしかに難儀なのである。
暮れの、何かと慌ただしい時期に宛て名書きをしなければならないからである。

どうしてもそれは事務的な作業になってしまうのである。
心のこもっていない手紙なんかダイレクトメールである。価値がない。
そして、まだ年が明けていないのに「明けましておめでとう」と書く白々しさ。
新年の嘘つき始めが、元旦に届く年賀はがきなのである。

それを考えれば、年が明けてから年賀の筆を認めるという永師の考え方は合理的なのである。
がしかし、永師はいわずもがなのことまで言ってしまったのである。
旧正月に出せば、お年玉くじの当たりは全部自分のものにできるから、と言うのである。
考えてみれば、ハズレ籤と分かっている年賀はがきを送りつけるのは失礼の極みだろう。

永師は知性と経験には長けている人なのだろうが、ちょっと品性が欠けているようである。
永師は、外れていると分かっている無価値な宝籤を貰って嬉しいのかということである。
庵主なら馬鹿にされている思うけれど。そういうのを、嫌味というのではないのか。
まずいと分かっているお酒を人様に贈るようなものである。心の寂しい人である。

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人に物を贈るのは難しい。贈り物は「四角くて薄いもの」に限るという笑い話がある。
物に込めた贈り手の思いが、受け取る人に素直に伝わらないことが多いからである。
贈り手が心を込めて選んだ物が、相手には気に食わないことが多々あるのである。
物を贈って却って相手を不快にしてしまうこともよくあることである。悲しい現実である。

これはそれとは状況が異なるが、中国や韓国に謝罪だ賠償だといって日本人が心を込めて
お金や親書を送ると、それを受け取った支那人や朝鮮人は却って品性が悪くなるのである。
贈り手の気持が、その手の相手には素直に伝わらないのである。タカリを誘発するのである。
贈り物を平気でせがんでくるようになる。相手の為にならない贈り物の実例である。

by munojiya | 2012-09-21 00:02 | 世話物 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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