2012-11-01 「君が代」ならこの人
先の高校野球の開会式での感動的なデビューは多くの人の心に「日本人に生まれてよかった」
という思いを湧き起こしてくれたのである。その思いを実感させてくれたのである。
本当にうまいお酒を呑んだ時に感じるあの感懐を歌でもたらしてくれたのである。
『歌を聴いて涙が止まらなくなったのは初めてです。』(後掲リンク先)。
お酒を呑んで涙が止まらなくなることもあるが、それは感動と呼ばず泣き上戸と呼ばれる。
『国歌を歌わせたら日本で一番合ってるのは彩乃さんだとおもいます。
サッカーなどで是非歌わせてください もう歌手は飽き飽きです』(同前)。
はっきりいって、歌手が歌う「君が代」が下手すぎするのである。
歌とは楽譜を唄うことじゃないのに、それらの歌手は楽譜を唄っているのである。
ではその野々村さんの「君が代」を聞いて頂きたい。まずこの映像から。
『なんか垢抜けちゃったな』(同上)。はっきりいって劣化しているのである。
一方、これが、日本人を奮い立たせたその感動のデビューの時のものである。
これは、心から泣ける「君が代」である。うれしくて泣けるのである。だったのである。
上手になるということがなんと悲しいことか。むなしいことか。一線を越えるとはそれをいう
のだろう。感動の上限を越える事である。突然それがつまらなくなるのである。お酒もである。
-----
最初に紹介した「君が代」は、歌が上手になりすぎたからつまらなくなったのである。
これは恋歌なのだから、もっと色っぽく唄わなくちゃ。逆か。恋しているから唄えないのか。
『早乙女から乙女へと、彩乃さんが移ったのでしょう。神楽で神へ捧げる歌姫から、ソプラノ
歌手の領域へ移行している最中なのかもしれません。』(同上)。進歩とは劣化でもあるのだ。
-----
『君が代不起立教師たちに正座で聴かせたい』(同上)。
あの人達は感性が狂っているから聴かせても無駄なのである。味覚音痴の人にうまいお酒を
呑ませても味が判らないように。世の中にはお酒が呑めない人もいるということでいいのじゃ
ないのか。ただ、自分は呑めないからといってお酒のうまさを否定されても困るのである。