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2013-01-03 漢字の哲学

庵主がいつも感心しているのは、漢字は良くできているということである。
というより、それを考えた人は相当の皮肉屋だということである。
哲学を本質とか核心を捉えた見方だとするなら、そこに漢字の哲学を感じるのである。
「美しい薔薇〈バラ〉には刺〈トゲ〉がある」というのは西洋の言葉である。

漢字ではそれを「愛」と書くのである。
「愛」という字の上の部分の「ノ」と「ツ」に見える部分は「爪」という字なのである。
すなわち、「愛には爪が隠されている」というわけである。
「能ある鷹は爪を隠す」の「爪」である。漢字に抜かりはないのである。

「雅」と書く。みやびに見えるが、しかし、雅の本質は「牙」である。
よく核心をとらえているのである。
庵主が、往年これはうまいと思って呑んでいたのが「菊正宗」の「雅」という純米酒である。
当時は純米酒を見つけるが大変だった。純米酒が売っていないのである。

その頃の酒屋の正義は、「アル添酒がうまい」というものである。
一方、呑み手の正義は、「アル添酒は混ぜ物だ。純米酒が本物の酒だ」というものだった。
今では、うまい、いや、うますぎる純米酒が数多く出回っている。その状況を進歩と見るか、
劣化と見るか、今庵主は逡巡しているのである。うまいということははたして正義なのかと。

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「犠牲」はなぜ牛偏なのか。
魚偏でもなく、人偏でもないのか。
それは、キリスト教では牛を生贄として神にささげるからだという。
すなわち、漢字はキリスト教にも造詣がある人が作ったのだという説もあるのである。

by munojiya | 2013-01-03 03:05 | 酒の肴 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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