人気ブログランキング | 話題のタグを見る

2013-02-04 痛し痒し

ニュースを伝えるということは、抉〈えぐ〉るということである。
それがみっともないことだと知っている人はジャーナリストにはならない。
ジャーナリストの自己否定みたいな文章があった。
「“メディア・スクラム”はなかったのか。アルジェリアでの人質事件を振り返る」である。

それがお前らの性〈さが〉なんだよ、と言うまでもないことである。
治にいて乱を求める血を持っている人達のことである。
日本人は、支那人や朝鮮人を馬鹿にするが、それは血が合わないからである。
血液型の異なる血を輸血できないのと同じである。自分の身を守るためなのである。

見た目は同じ血に見えるのである。しかし、血液型が合わないと固まってしまうという。
すなわち死んでしまうということである。
人は死にたくないから、ジャーナリストを馬鹿にするのである。穢らわしいと。
しかし、それは血だから否定はできないだけのことである。故にそれを口はしないだけだ。

同じ血液型でもRhのプラスとマイナスが異なると輸血できないという。
異人種とは友好(制圧)する以外に和合できない理由である。仕組みである。真理である。
酒呑みの血と呑めない血が和合しているように見えるのは奇跡なのである。
酒呑みが酒呑めずに友好を求めないからである。酒呑みにも一変の知性はあるのである。

-----

今頃、地下鉄サリン事件を伝えるジャーナリストはいない。
いま、そんなことを知らさせれても何の役にも立たないからである。
それは、それが起こったときに必要な情報だからである。
ジャーリストの血というのは、社会を守る血でもあるのである。←殆どそんなことはないが。

庵主は思うのである。
そのときサリンを吸って後遺症を抱えて生きている人達は今どうしているのかと。
ジャーナリストはそこまで報じてはくれないのである。
他人〈ひと〉の不幸は、所詮他人事〈ひとごと〉だということである。

布教とは、他人の不幸を自分の不幸と見なしてそれを取り除いてあげようとすることである。
庵主が、「うまいお酒を呑もうよ」というのはそれである。布教は余計なお世話ともいう。
しかし、それも一面では迷惑な話で、酒が飲めない人が「うまい酒があるからそれを飲め」と
言われてもできない相談なのである。宗教の布教は往々にしてそれなのである。

幸せに暮らしている人に、お前は不幸だから俺の宗教を信仰しろと言って無理難題を押し売り
するようなものである。
庵主は酒が飲めない質〈たち〉だから、まずいお酒を勧められても呑めないのである。
もっとうまいお酒を持ってきてくれればそのうまい部分だけを呑めないこともないのだが。

-----

日本語で十分幸せなのに、英語を押し売りする宗教もあるのである。
非英語人にだけ負担を強いる英語の強要こそ、貿易障壁の最たるものなのではないか。
商品を輸出するのなら輸出先の風俗習慣に従うのが当たり前だろう。日本語で書け、である。
缶ビールに英語で注意書きを書いている日本のビール会社を庵主が嗤う理由である。

by munojiya | 2013-02-04 00:01 | 世話物 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


by munojiya