2013-05-03 余白
文章も、改行がなく、だらだら続くものは読みにくい。
改行によって生じる余白が、文章を読みやすくしているのである。
改行がなく続く文章は息が長いというのだろうか。
しかし、読んでいる方が先に息切れしてまうから、疲れるのである。
心臓などが悪くて息が短くなると、書く文章も読点が多くなると聞いたことがある。
そういう文章を書く人は体が弱っているというのである。本当かどうかは分からないが。
改行なしの文章も読みにくいが、改行が多すぎる詩文みたいな文章も、庵主には読みにくい。
散文の中に詩文がはいっていると、庵主はそこだけ読めなくなってしまうのである。
その部分を読みとばしてしまう。
だから、聖書の一節を引用した文章があると、その引用部分を、庵主は読んだことがない。
庵主にとっては、詩文の引用部分が余白になってしまうからちょうどいいけれど。
生活の余白は、余裕ともいう。
庵主が「いいお酒を呑め」というのは、もっと余裕のある生き方をしたらということである。
切羽詰まった内容の言論は、見苦しいからである。聞いていて疲れるからである。
当人はその言説に酔って気持ちいいのだろうが、いい酔いはうまいお酒で味わうものである。