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いまどきのお酒

郷乃誉 千年松寿翠 一九七三年 純米大吟醸 生 冷温熟成 (茨城県 友部町)
秋鹿 純米大吟醸 弐引上澄 無濾過生原酒 二〇〇五年 (大阪府 能勢町)
秋鹿 純米吟醸 生 山廃槽搾直汲 二〇〇三年
秋鹿 純米大吟醸 雫生 壱号田 一貫造り 二〇〇二年

奥播磨 鑑評会出品酒 大吟醸 生 冷温熟成 二〇〇一年 (兵庫県 安富町)
府中誉 渡舟 純米大吟醸 冷温熟成 一九九八年 (茨城県 石岡市)
田酒 純米大吟醸 斗瓶 二〇〇四年 (青森市)
十四代 双虹 二〇〇四年 (山形県村山市)

達磨正宗 古酒 昭和五十年 澱 (岐阜市)
達磨正宗 古酒 昭和五十四年 純米甘口果実香
とあると、興味のない人にはまるで経文のようである。
般若心経のような節をつけて読みたくなる。

昔なら、日本酒はただお酒であり、ビールはただビールだった。
今はそうはいかない。
何を呑みますかと銘柄を問われ、どれを呑みますかと造りを問われるのである。
答えているうちに喉が干上がってしまう。

とにかくお酒を、まずビールを飲みたいのにである。
お酒といえば、だまって出てくるのがお酒だった。
ビールも同じである。
どれもわけへだてなく一様にまずかったのである。

だから
どれを選ぶまでもなかったのである。
しかし今はちがう。
うまいお酒が、そしてうまいビールが造られるようになったからである。

それを進歩という人もいるが、庵主はためらわず贅沢という。
日本酒に関しては
年々造りが細分化されて親切にもそれをラベルに書きつらねるものだから、
知識がないと何をいっているものかお経同様意味がわからないようになっている。

ところが庵主はそれを読み取ることができるのである。
読み取れると変なことが起こる。
ラベルを見るとなんとなくその味わいが想像できるからである。
酒を呑む楽しみから、そのラベルを読み取ることに興味が走り出したのである。

先にお酒があって
あとから能書きがついてくるものなのに
能書きが先になってしまうのである。
予想した味わいが呑んでみてそのとおりだったことに満足しているのである。

本末転倒である。
だから普段は自分からお酒の注文はしない。
そのときの一番うまいお酒を出してくれというだけである。
今どれがうまいかはお店の方がよく知っているからである。

お酒の好き嫌いはあるが
どうしても呑めないというお酒はないから
出てきたお酒をありがたく頂戴するのである。
うまければその一杯で十分幸せである。

もし一杯目が口に合わなかったら
口直しといってはなんだが、次のお酒を頼む楽しみが生まれる。
ということができるのも
そういういいお酒しか置いていないお店にしか行かないからなのだが。

冒頭のお酒は酒が呑み手を選ぶ酒である。
選ばれちゃったのである。
これだけの種類を一度に呑むとなると庵主はそれぞれ20ccぐらいしか呑まない。
ただし「果実香」だけはしっかり2杯もいただいたのである。
by munojiya | 2005-10-09 01:07 | うまいお酒あります | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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