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2013-11-25 気違いの証明

気違いと正常の境目を見極めることは難しい。
人は、だれでも正気と狂気を併せ持っているからである。
狂気の度が過ぎるのも気違いだが、正気の度が過ぎるのもまた気違いだからである。
狂気の判断も、中身はどうであってもうまいお酒がいいお酒という判断に準じていいだろう。

正気のお酒でもうまくないお酒では呑んでもつまらないということである。
狂気のお酒、例えば精米歩合23%といった酒でもうまけりゃそれは許されるのである。
信者というのは気違いだということの証明を見ることができる。
アメリカで、「聖書」をフィクションに分類した書店が糾弾されているという。

糾弾しているのはその宗教の信者である。
フィクションをそれと認識できなくなったら気違い状態だろう。
いや逆で、フィクションに酔える人が信者なのか。
庵主は、酔えない体質だから、酔う前に吐いちゃう質なので、宗教が体に合わないのである。

精神病院には必ず、私は神であるという患者〈きちがい〉がいるという。
それを見て“患者”だと思わない人はいないことだろう。
そうは思わないという人でも、その患者とは一緒には暮らしたくないだろう。
信者とはその神に憧れる人達なのである。一歩手前で逡巡している人達なのである。
by munojiya | 2013-11-25 00:02 | 世話物 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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