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板さん

板さんといっても
板前さんのことではない。
板橋さんという人がいたのである。
とっくのとうに亡くなってしまった人である。

しかし庵主の心の中では今なおしっかり生きているのである。
いまでもその存在感は生前と変わることがない。
お酒もそうである。
庵主が呑んだお酒は庵主の心の中にしっかり存在しているのである。

人が亡くなるということは
その人が死んだ時点ではない。
その人を知っている人がみんないなくなった時なのである。
そのお酒はそれを呑んだことがある人がみんないなくなったときに初めて枯れる。

庵主が呑んじゃったお酒に関しては
庵主が死んでもなお続くのである。
「むの字屋」にその記憶が残されているからである。
だから庵主に呑まれたお酒は幸せである。

というのは冗談であるが、
歴史上の人物はすでに死んでいても
長く語り伝えられることで生き続けることを考えれば
お酒も語り伝えることでその生命は永遠なのである。

もっともそれを伝える人が滅びてしまえば万事休すではあるが。
すくなくとも
庵主ははうまいお酒の命をもらって
それを語り続けているのである。

よく新製品を作った人が
それを発売したところ
開発者が思いもよらなかった
使い方をされて感心していることがある。

中には
パチンコカードを作って
開発者が思いもよらぬ不正利用をされたという例があるが
その場合は開発者が間抜けだったのである。

庵主は邪推するのが好きだから素直には考えない。
あれはそういうことが起こることがわかっていて
わざとセキュリティの軽いものを出したと見るのである。
関係者が裏金を作るためである。

その証拠に何百億円のお金が不正に略取されても
そのことでだれも責任をとっていないからである。
ブレーキのついていない自動車を作って売ってその車が事故を起こしたら
だれも責任を問われないということがあるだろうか。

もっともこの例だと
ブレーキがついていないことに気がつかなかった運転手の責任か。
しかしである。
アルコール飲料であるお酒を呑んで障害が出たら呑み手の責任なのか。

それとも
そういう障害が起こることもあることを知っていて売った人の責任なのかとなると
お酒を売る人は安心して売ることができなくなることだろう。
そんなのは車には交通事故死がつきものだと割り切ってしまえばいいのである。

現実は平均すると毎日数十人の自動車事故による死者が出ているのである。
だれもそれを気にしていないのである。
車にひき殺された人は運が悪かったのである。
板さんも酒の呑み過ぎで肝臓ガンに倒れたのだが運が悪かった一人なのである。
by munojiya | 2005-10-18 02:54 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


by munojiya