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2014-02-17 99%の人が知らない事柄

ちなみにいまから書くことは「写真を知っている人」からすれば当たり前のことなのかも
しれないのですが、
世の中の99%以上の人が知らないんじゃないか、と思っているので、けっこう重要な話だと
思います。
』(典拠)。

庵主の持論の裏付けである。
「写真は、真実が写っていると読むのではない。真〈も〉っともらしく写っていると読む」。
嘘とは、言葉で積極的に騙すことをいうが、目で消極的に騙すのが写真である。
そんな写真を真に受ける方が悪いと思ってはいけない。

嘘がないことには、世の中は面白くないからである。
言葉の嘘は、美化すると小説、映画(シナリオ)、演劇、落語、講談となって
人の心を癒してくれるのである。
写真も、加工しなければ、おっとっと修正しなければスターは輝かないのである。

嘘がなければ人生の楽しみも、喜びも、感動もなくなってしまうのである。
お酒も、アルコールの毒があるから、楽しいのである。騙された人はアル高に沈むのである。
ただ、お酒も嘘も適量であることが肝腎である。
社会全体が大嘘になった社会を共産主義と呼んで、日本人は毛嫌いするのである。

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でもなんとかして他の人に画を見せたい。
そこがむちゃくちゃ面白いから写真趣味という人が死ぬほどいるんだし
』(同)。
「写真趣味」というのは、そういう悪趣味だということである。気持はわかるけれど。
「俺の酒が呑めないのか」という趣味も、それと同様によくないよ、ということである。

「真実を写す」という言葉がウソなんです。そうではなくて、目の前で起きている光学的な
事象を二次元に一度化学や電子工学の力で写し取って、それを撮影者の手によっていかに印象
的なものに加工して他人に見せるかというプロセス。これが「フォトグラフ」なのです。光の
画。光画。画なんです。真実じゃない。ホンモノじゃない。
』(同)。「光画」が正解。

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「写真」という言葉は、「何か大げさな真実をコピーする装置」みたいに見えちゃうんだけ
ど、じつは「景色とか人物とかを肉眼で見た撮影者の怨念とか執念とか感動みたいなもん」を、
紙とかモニターというデバイスによって他人に伝えるための通信手段(プロセス)みたいな
もんだと考えた方がいいんじゃないすかね。

「俺にはこう見えたんだから“そういう画像"を作ったし、それをあなた達に見てもらいたい」
ということですよ。劣化して当たり前、だからこそ加工して当たり前。それで良くもなるし、
悪くもなる。写真って楽しい。
』(同)。写真とは怨念と執念の表現なのだ。その毒がうまい。
お酒は劣化を伴わない直截(ストレート)な表現だから良酒を呑むと本当に気持ちがいい。

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これまで使われてきた「写真」とか「国際連合」といった誤訳は、「光画」とか「連合国機構」
といった、現実を表現する適訳に直した方がいいのかもしれないが、しかし、長く慣用されて
きた言葉だけにそう簡単にいかないのである。それで一番可哀相なのは「哲学」だろう。
「中国」も原点に逆上って「支那」に戻さないと、「中国の夜」では歌にならないのである。

by munojiya | 2014-02-17 05:51 | 世話物 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


by munojiya