2014-05-19 いけしゃあしゃあ、と
証左であるといった方がいいか。
支那人は、おっとシナ人は、いけしゃあしゃあと嘘を吐〈つ〉くということである。
世界中に、中国船がベトナム船に船首から真っ直ぐにぶつけている映像が流れているのに。
シナ人の精神構造がそうなっているということなのである。
それは善いとか悪いということではないのである。それはシナ人の中では嘘ではないのだ。
文化としての倫理構造がそうなっているのである。小中華人はそういう嘘を妄想と呼んでいる。
つまり、中国や韓国の文化とは、その歴史書というのは、全編眉唾だということである。
歴史書の書き方が、日本人が求めるそれとは異なるからである。妄想の集大成なのである。
事実を書いたものではなく、書き手の、即ちシナ人がこうあってほしいと思う「事実」を
書き連ねたものだからである。前王朝を貶して、現王朝をほめそやすのである。
シナの歴史書に書かれている事実とは、シナ人がそう考えているという事実なのである。
その時、中国船はベトナム船と衝突していないというのである。それが中国人の事実である。
その妄想を、形容詞的に「中国人」と書いて「いけしゃあしゃあ」と読むのである。
嘘〈もうそう〉を平気で本当の事だと言い張ることをである。そういう発想のことをである。
アルコールを混ぜた発泡酒をいかにもビールだと強弁するのも「中国人」なのである。
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『「これは馬だ!」
「これはすごい馬ですね。」(どう見ても鹿。。。) 』(典拠。以下も同じ)。
『バッチリ「中国」って書いてある船が特攻してきた動画には笑った
テレビでもガンガン流れてるんだが』。
『こういう、明らかな証拠があってあからさまな嘘ってことが分かるのに
世界に向けて堂々と嘘をつくってのは
やっぱり中国人や朝鮮人には[「は」の間違いだろう]「恥知らず」ってことだよね』。
中韓人はそれを「恥知らず」とは思っていないのである。そういう文化なのである。
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日本人「人が嫌がることをすすんでやる」
韓国人「人が嫌がることをすすんでやる」に準〈なぞら〉えると、
日本人「それでもボクはやってない」
シナ人「それでもボクはやってない」。
支那政府の美男美女を揃えた報道官というのはあの顔で嘘を言うのが仕事なのである。
その発表内容を「嘘」と見るのは日本人の文化であって、支那人にとってみれば何ら疚しい事
はしていないのである。シナ人は嘘を正々堂々と吐〈つ〉いているのである。
それは支那の文化においては正義なのである。人の数だけ正義があるということである。