2014-08-10 日曜日のくつろぎ篇「安倍総理の顔判断」
昔の日本酒、すなわちお酒は、そのスタイルが一つだった。
米だけで造っていたからである。
戦中戦後にかけて、原料米不足から新しいスタイルの「お酒」が造られるようになった。
アルコールを混ぜたアル添酒である。

見た目は殆ど同じである。一見しただけでは違いが判らない。
呑んでみても、庵主には両者を区別することができない。
これは純米酒だと思ったお酒がアル添酒だったということがよくある。
逆に、これはアル添酒だと思ったお酒が実は純米酒だということも同様なのである。

純米酒を本物としたら、アル添酒は紛い物ということになるが、「うまい」という観点で見る
と、両者に優劣はないのである。
純米酒だからといってうまいとは限らない。
また、うまいアル添酒がいくらでもあるのである。

とはいえ、お酒は動物に与える餌じゃないから、純米酒とアル添酒は異質のお酒である。
実用上はどっちでも構わないが、アル添酒は邪道なのである。正道を行きたいのである。
庵主にはこの二つの顔も違いが判らないのである。二つとも同質に見えるのである。
総理の顔が、齢を重ねて地の顔になってきたように見えるのである。実用上はどっちでも。

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豊川悦司〈とよかわ・えつし〉の顔が、齢を重ねて地の顔が出てきた実例である
チョウセン人の血を引いている俳優である。
俳優としては、日本人とは微妙に異質な所に魅力があるということなのだろう。
若い頃はイケメンの中途半端な顔立ちだったが、最近はすっかりチョウセン人の顔になった。

若いころはジャズやクラシックなどの外来音楽に親しんでいた日本人が、齢を重ねると演歌に
行き着いてしまうのと同じである。地に戻るのである。血に落ち着くという事である。
若さという虚飾がなくなると、日本語に密着した演歌という地の歌が心地よくなるのである。
気負いなく聴ける歌だからである。すなわち地(本来の体質)が出てくるという事である。

安倍総理と舛添都知事の最近の顔である。
舛添要一はチョウセン人の血を引いていることを自慢にしている日本人である。
そしてその振る舞いが、まさしく典型的なソレの血なのである。
日本人はその振る舞いを見たら退〈ひ〉くのである。黙って距離をとるのである。

よく判らないのが安倍晋三である。
チョウセン人は存外日本語が上手なのである。総理の演説を聞くと、早口でかなりあやしい
から、下手くそな日本語なのでやっぱり日本人なのかもしれない。
しかし、血は、虚飾がはがれたときに地を現すのである。最近のご尊顔から窺うに。

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by munojiya | 2014-08-10 00:05 | 日曜日のくつろぎ篇 | Trackback | Comments(2)
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Commented by ヤス at 2014-08-10 20:51 x
味もですが、、、双方を呑み過ぎると答えが歴然に、、、、、、

Commented by munojiya at 2014-08-11 01:56
なるほど、呑み過ぎた時に違いがはっきり判るということですか。
庵主は、量が呑めないので、その境地に至ることがなかったものですから、それには思いが至りませんでした。

庵主はアルコールに弱いもので、どんないいお酒であっても、間違って呑み過ぎた時にはやっぱり悪酔いすることは知っていましたが、両者は呑み過ぎたときにその違いが出るのですか。

そのご経験をありがたく参考にさせていただきます。

酒屋万流といいますが、呑み手も万流で、いろいろな呑み手がいるということです。どの呑み方がよくて、どの呑み方は悪いというものではないでしょう。
自分の呑み方が必ずしも大方に通用するものではないということを改めて認識した次第です。
でも、うまいお酒というのは大方の人が納得するということは確かです。


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