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2015-01-02 「いまだにこんなことを言っている新聞社」

今、庵主の庵には「盛況新聞」が入っている。おっと誤変換、「聖教新聞」である。
もちろん、ご恵贈に与〈あずか〉ったものである。普段は新聞を読まないからである。
庵主は既に老齢の身である。最近は活字を読むのが苦痛になってきた。
一つには、そんなものをいくら読んでもちっとも利口にならないことが分かったからである。

本を読みながら虚しさを感じてしまうからである。本を読んでいても雑念が湧いてくるのだ。
それよりも、無心に、こうしてワープロを打っている方が気が休まるのである。
それ以前に目が文字を追うのがつらくなってきた。字を読む目からの卒業みたいである。
庵主は左右の目の視力が極端に異なるから文字にピントを合わせるのが辛くなってきたのだ。

左右の目玉は同い年だから、同じように劣化していくのかと思っていたがそうではなかった。
視力の違いというよりも、右目は老眼、左目は近視のようなのである。
足して2で割ればちょうどいいかというと、そうはいかなかった。
映画のスクリーンを見るときは左目では見えない。画面がぼけて見えるからである。

逆に、近くを見る時は両目で見るとピントが合わないから片目をつぶって左目だけで見ないと
はっきり目えないのである。両目を使って近くの文字を見るとにじんでしまうからである。
左目のピントを、よく見える右目のピントが邪魔をして文字がにじんで見えるのである。
幸い、味覚は今のところ大丈夫で、お酒を味わう分には全然問題がないのである。

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で、タイトルはこういう話である。
冒頭になぜ「盛況新聞」が、おっとっと「聖教新聞」が出てきたかというと、その社会面や
スポーツ欄に載っているニュースは聖教新聞社が取材したものではなく、ニュースの卸問屋
から買ってきたものをこそのまま載せているものだと言いたかったからである。

そのままといっても多少の編集は許されているのだろう。
ほとんどそのままだろうから、揶揄して言えば垂れ流しているといっても過言ではないのだ。
即ち、問屋が間違った記事を書いていたら、それがそのまま掲載されているという事である。
しかも、親切なことに問屋は社説まで配信してくれるというのである。

ある日などは、遠く離れた二つの地方新聞社の社説が全く同じ文面だったことがあるという。
両社は、自分の新聞の社説と称して、ニュース問屋が書いたものをそっくりそのまま掲載して
しまったのである。
で、「いまだにこんなことを言っている新聞社」の社説もそれじゃないのかという邪推である。

ニュース問屋は共同通信社と時事通信社とがあり、「南日本新聞社」はどちらの配信を買って
いるのかは知る由もないが、案外「社説」の丸写しだったという事も考えられるのである。
つまり、問屋の二社は、かなり左がかっているからである。右翼崩れの新聞記者というのは
聞いたことがないから、新聞社やニュースの配信社は左翼の独占上、おっと独擅場なのである。

by munojiya | 2015-01-02 00:04 | 番外篇 | Trackback | Comments(0)

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