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2015-06-27 瀬名秀明→伊藤計劃→小島秀夫は別世界

この日、小島秀夫の名前を知る。人を笑わせる天才のある松元ヒロを見た翌日の事である。
そして、TVゲームなるものがここまで実写風になっているのかとびっくりしたのである。
庵主は、将棋とか、麻雀とかいったゲーム事が苦手だから、それは別世界の話である。
いま、庵主がうまい酒を食らっている世界を表としたら、それは裏の世界である。

表と裏を同時に見ることはできない。
庵主はどっちの世界を選ぶかと言われたら、ためらわず表の綺麗な方をえらぶからである。
うまいお酒とそうでないお酒のどちらかを選べといわれたらうまい方を選ぶように、である。
アニメでもなさそうだし、実写でもなさそうな、蒟蒻みたいなたよりない画質になじめない。

しかし、脚本は緻密なようである。
下手な映画のストーリーよりよくできているみたいな所は気になる。
思えば、庵主は大衆映画の映画のストーリーさえ理解できないことがある。
だから、緻密なゲームにはついていけるわけがない。要するにそれは別世界なのだ。

そもそも21世紀という、「夢の世紀」を迎えた今、相手を殺すことに血道を揚げるゲームと
いう発想についていけないのである。それって、やっている事は自己否定なのではないか。
生きている喜びではなく、破壊する快感に生を感じるというのは気違いの発想なのではないか。
恩に生きるのでなく、恨みに生きる朝鮮人が馬鹿にされるのはそれと同じ理由によるのである。

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出合いの足跡はこうである。そこに出てくる瀬名秀明ってだれだと思ってクリックしたのだ。
「安堂ロイド」の組織票(?)に「そういう場所じゃないんで」って言うのなら、
「【人物】瀬名秀明」でエントリーしてる瀬名さんにも「そういうの勘弁してください……」
っていうべきじゃないの? と嫌みの一つも言いたくなる。
』(典拠)。

名前だけは知っている伊藤計劃が出てきた。
瀬名秀明と伊藤計劃のおかげでSFが好きになりましたよ!』(典拠)。
そこから小島秀夫に至ったのである。
人を楽しませるのだから天才なのだろう。

有名なゲームデザイナーの小島秀夫と伊藤計劃は、1998年3月に開催された
「東京ゲームショー98春」に出会った。
』(典拠)。
小島秀夫は、その世界、すなわち、庵主のいう別世界では凄い人みたいだが、そういうものに
価値を感じない、というか理解できない庵主にはその凄さが判らないのは幸いである。

人は、知らない世界が多い程幸せ感が高まるからである。
知れば知る程、自分の卑小さを感じて惨めになるからである。
安堂忠雄」から、「安堂ロイド」の表記を確かめたのが小島秀夫を知る切っ掛けだった。
知った所で別世界だったのだが。人の作ったゲームで遊んでみようという心の余裕がないから。

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人は、国に住むのではない。国語に住むのだ。「国語」こそが、我々の「祖国」だ。
-- ルーマニアの思想家、エミール・シオラン
』(典拠)で、そのゲームの予告編は始まる。
その予告編は英語と日本語で相〈そう〉が変わるという。
そのゲームはタブーに踏み込んだゲームなのだという。「タブー」は「不得手」と訳しておく。

僕は英語版をE3のカンファレンスライブ[この部分は庵主には意味不明]で見てた時、
「ん? なんだかずーっとナレーションが入ってるだけでそこまで刺激的なシーンはほとんど
無い、これがコナ??
[??は「ミの」の誤打か]圧力なのかなぁ。チョットがっかり」
なんて思ってました(語学力は皆無なので何言ってるかはわかりませんでした)。

すぐ同時に日本版もUPされる事は知っていたので暫くして見直しました。
するとどうだ。
愕然としました。震えましたね、チョット怖くなりました。
観ているものは全く同じ物なのに、ここまで惹き込まれるとは思いませんでした。

二つの言語のトレーラーを観終わった時、「国語」の支配力の強さを身を持って感じて
しまった。「彼」の計画する“奪う”行為の恐ろしさを感じた時、これはゲームの域を超えて
は行けない
[いけない]所まで来ている気がしました。
以前、監督
[小島秀夫]が言っていた「タブー」とはこれの事だったんでしょうか。』(同米)。

by munojiya | 2015-06-27 00:03 | 世話物 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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