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2015-08-26 高い山を上から見る人

庵主の知らない世界がある。
いっぱいある。いっぱいある筈である。
個人とはその認識できる範囲を呼ぶのだとすれば、庵主が知らない世界はないと言えない事も
ないのである。知らないものは存在しない事と同じだという考え方に立てばである。

うまいお酒がある。本当にあるのだ。
大量にお酒を造る技術に長けている大手の酒造会社のお酒は、うまいお酒を大量に造る事は
難しいという自然原則に従って、大してうまいお酒はないのである。
呑めないことはないが、呑んで良かったと感じるものはまずない。

大手酒造会社が本気を出して造ったお酒にはうまいものがあるという評判を聞いた事がある。
しかし、その実物に出合ったことがないのである。
それは実在するのかもしれないが、庵主にとっては、「ないと同じ」世界なのである。
人間とは出合った人の質もしくは数の集大成だという言っていた人がいた。

「人間」とはいうが、「間」の意味がよく分からなかったが、そういう意味らしいのだ。
開高健は名前は知っている。権威と読んでいいだろう。庵主には大山〈たいざん〉である。
その大山をさらに上から眺めることができる人がいるのである。この人である。その人が
日野啓三がいいと教えてくれた。この齢になって、読んでみようか。本を買う金はあるから。

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今、地球は、北極を口として、南極をお尻の穴だとすれば、口から尻の穴までどこでも、その
上空から見ることができるようになった。
それは技術の進歩といえるのだろうが、それで、一気に世界がつまらなくなったのである。
ランボーがベトナムのジャングルの中で徘徊していても、それは地上目線の冒険である。

上空からそれを見たら、今ランボーが冒険している場所は容易に確定され、今何をしている
かも容易に見て取れるとなったら、当人にとっては冒険であっても、上から見る人にとっては
将棋の駒か、蟻のたわむれにしか見えないのである。それはちっとも冒険ではなく、ただただ
働き蟻があっちへ行ったりこっちに行ったりという光景でしかないのである。

人は地上から物事を見るから、そこに未知に挑戦する冒険があり、未知の世界を切り開く感動
があるのだが、それを上から見たのでは感動もなにもあったものじゃない。
うまいお酒を呑んでいるという優越感は、それが地上で見たときの実感であって、それをもし
自分自身が上からその様子を見たら、物好きな人が酒を食らっているとしか見えない筈だ。

地上から見れば高い山も、その上から見れば、ただの眼下の小さい山にしか見えないのである。
開高健という、地上から見たら高い山も、上から見ればそんなものかと知ったら、「俺が俺が
の私小説」なんか読む気がしなくなるのである。
ドローンで空撮することを庵主が嫌うのは、上から見られたのでは、長年培って来た庵主の
自尊心がただの無意味なあがきに見えてしまう事が気に食わないからなのである。

by munojiya | 2015-08-26 00:04 | 世話物 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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