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2015-10-01 時の流れ

こういう譬え話があった。お父さんが息子に「神様はいる」ということを説明するのである。
神様は目には見ることができないが、ちゃんと存在しているんだよと教えるのである。
「風は目には見えないけれど、あるということは確かだろう。
目には見えなくても、神様はちゃんと存在しているんだよ」と。

目に見えなくてもちゃんと存在しているものは沢山ある。それが悪さをしたら神と呼ぶのだ。
香りがそうだ。人が発するオーラもそうだろう。人はオーラに引き寄せられるのである。
嫌なオーラは忌避するのだ。オーラのことを「気」というのである。見えないけれど感じる
事ができるものという意味だ。気を払い落すことを清貧という。荷を背負わない生き方だ。

そして、時間もまた目には見えないものの一つである。
しかし、時間の存在は、直接には見えないが、時の流れで見ることができるのである。
こんな感じにである。昨日と今日とではほとんど変わらないが、
一昨日〈むかし〉と今日〈こんにち〉を見比べると隔世の感がする。時の仕業である。

過去は知らない方が幸せなようである。
歴史と称して過去を掘り返すことは一面では愚の骨頂なのである。
歴史無用となったら、食っていけなくなる歴史業界が黙ってはいないのだろうが。
今うまいお酒を知っている人が、ちょっと前のお酒の歴史を知ったら苦笑するしかないだろう。

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目には見えないが風のようにちゃんと存在しているという譬え話が使えるものでは、
肝心なものを忘れていた。放射能(正しくは放射線と言うのだという)がそれである。
神様が存在するかどうかはともかく、放射能が存在することは「時の流れ」と同じ観察法で
それを確認することができるのである。

被曝した時には、運が悪いと被曝症状が出ることでその存在が確認できるのである。
症状が出ないと、その存在が判らない。許容量まではあってもなくても同じなのである。
神様の方は、それに触〈かぶ〉れて症状が出ると、気違いと呼ばれるのである。
放射能は肉体に、神様は精神に異常をもたらすのである。神様とは精神の放射能なのである。

by munojiya | 2015-10-01 00:04 | 世話物 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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