2015-11-29 感動の仕方
受験勉強に長けてしまうと感動がうすれてくるというのである。いや、殺してしまうのだ。
受験勉強というのは、答が分かっている知識のことだからである。
あるいは答があるということが分かっている事柄だから考える必要がないので感動もない。
感動というのは、答がまだ分からないというワクワク感のことである。
推理小説で、最初に犯人が分かってしまったら興味が半減するようなものである。
「人は必ず死ぬ」という答を先に知ってしまったら、生きていく楽しみがなくなってしまう。
「自分は死なない」と思っているからこそ日々充実するのである。
「明日死ぬ」と分かっていたら、多くの人は、今日を投げ出してしまう事だろう。
絵が好きな人が、老齢になったら、もう新しく絵を買う楽しみがなくなったという。
自分が死んだら、自分が集めた絵の素晴らしさを分かる人がいなくなるのだから、
そんなものを買い集めても無意味な事だと悟ったからである。
それまで買い集めた絵も色あせて見える様になるという。
絵の価値が変わったわけではなく、見る人の気持が、すなわち感動が変わったからである。
庵主は、まずいお酒が出てきた時は感動をまぶして呑んでしまうのである。
明日は死ぬとなったら、前夜はかねて用意しておいたうまいお酒に感動してすごすのである。