2016-01-21 逆効果じゃないのか、創価学会のこのCM
実は、その映像に付いている音声で見ているのである。
音量が小さくて聞き取りにくい映像や、音が汚い映像は、目では見えていても何が映っている
のか判然としなくなる。
何が映っているのかよく見えない解像度を下げたエロ映像でも、音声がしっかり聞こえると、
けっこう楽しめるのである。人は目で見ているのではなく、想像力で見ているからである。
創価学会のCM映像があった。これである。
布教に一生懸命頑張っている宗団だが、日本では一定数以上の拡大はないのである。
信者、おっと会員が増えるほどに、却って、それを忌避する人が増えるのが現実である。
なぜ、忌避されるのか。結論を言えば、恨みをかこった朝鮮宗教だからである。
このCMも会員勧誘が目的なのだろうが、日本人は逆にカルトにご注意映像として見るのだ。
「あっ、あぶない。その候補者は民主党」ではないが、「それカルトですよ」と。
『そんなある日、おばちゃんが交通事故に遭った』(同2:14)。
「悪い信心に凝るからそうなるのだ」と思ってはいけないのである。
庵主はそう思っちゃうから宗教が理解出来ないのである。不幸を楽しむのが宗教なのに。
日々うまいお酒に酔っているのである。それも考え様によっては不幸だから立派な信者なのか。
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お医者さんが、異教徒撃滅主義ゴリゴリの創価学会の信者だったら怖いのである。
お医者さんが、ユダヤ人だったら怖いらしい。アメリカでは。
お医者さんが、こういう在日チョウセン人だったら怖いのである。日本でも。
なぜなら、庵主はそのどれでもないからである。今戦争を好んでいるのは信者達なのである。
宗旨の違う奴らは皆殺しにしてもいいという聖書を代表例とする狂気の発想を持つ人達だ。
それを「カルト」と呼ぶ。自分が殺されるために信心するのは狂っているとしか言い様がない。
日本人は、人殺しを好まない。シナ人やチョウセン人と違って墓を暴かない。
そして人肉を食わない。そういう温和な社会に馴染んでいると信者は不気味に思えるのである。