人気ブログランキング | 話題のタグを見る

2016-03-04 気違いと認知症には殺され損

気違いに殺されたら、殺され損である。
救われないのである。
同様に、認知症患者に加害されても、損害が補償されないことになりかねないのである。
認知症患者がJRの電車に飛び込んで損害を与えたという。

JRが患者の家族に損害賠償を請求したところ最高裁がその請求を否定したのである。
ということは、社会安全上、認知症患者は殺処分にしてしまえという判断を示したのである。
社会思想の先駆者として勇気ある範を示したのである。最高裁はそこまで踏み込んだのである。
庵主がいう「寝たきり3か月、認知症〈ぼけ〉1か月」という線に近づいて来たのである。

患者の監督責任者に賠償させると、より真剣に介護した方が馬鹿を見る事になるからである。
そういう場合は、監督責任者に賠償は求め得ないとしたのである。それは合理的ではないと。
当面は、「気違い」と「認知症患者」と「チョウセン人」には関わらない事である。
認知症患者同様、中国人やチョウセン人に対する日本人の真情は、「こっちに来るな」である。

中国人は文化的に野卑〈きったない〉だからであり、もう一つのチョウセン人は「気違い」と
「認知症患者」の複合なので手に負えないからである。
積極的に討って出ることはできないので、避けるしかないのである。
庵主は亦「お酒もお避け」という。酒精は体には良くないので避けるにしくはないのである。

-----

世間の真情は、認知症になったら安楽死という線に向かっているようである。
そうなったら、家族でも支えきれないというのである。
『ボケ老人や知的障害者は安楽死させるのが本当の人権』(典拠)。
『↑ お前がボケ老人になったら真っ先に死ねよな』(同前)。ボケているから問題なし。

『徘徊して事故起こしたら責任とれってんならもう犬みたいに鎖で繋いでおくしかないわ
でもそれやったら虐待虐待騒ぐんだろこいつら
事故起こした責任とれ縛って管理したら虐待
どうせえっての』((同前)。

究極の選択の正しい選択肢はそれ以外の第三の地点にあるという事である。
もう正解は分かってという事である。
正解を言い募らないのが究極の選択というゲームのキモである。
暗に、みんなは分かっているよねというわけである。

家で面倒を見れば電車に轢かれ施設に入れれば外に投げ捨てられる
ボケる前に楽に死ねる方法を見つけねば
』(同前)。
ということは、もうお正月に餅食わせたり、台風の日に用水路見にいかせたりしなくても
いいんだな
』(同前)。

by munojiya | 2016-03-04 00:03 | 時局物 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


by munojiya