2016-03-31 笑い話「ポエム」
そのポエムに対するコメントの一つひとつに笑いを誘われるのがこのネタである。
今のお酒は、昨日呑んだお酒より、今日呑むお酒が、今日呑むお酒より明日呑むお酒が
さらにうまいという活況を呈しているが、このネタもそれである。
最初のコメントの可笑しさよりも、次のコメントの方がさらに可笑しく、それよりもその一つ
先のコメントがもっと笑えるという活況を呈しているのである。
「朝日新聞」も叩かれているうちが花だったのである。
笑われるようになったらおしまいである。今や「滑稽新聞」と化しているのである。
日本人のおもちゃとなっているのだ。
自分は馬鹿だと思っている日本人に、世の中にはまだ下がいるという安心感を与えてくれる。
チョウセン人が日本人の悪事を全部引き受けてくれるように、「朝日新聞」は日本人の馬鹿を
全部引き受けてくれることで、日本人に自信を与えてくれるのである。
『何だよこの駄文は』(同4)。
『うるせえ死ね』(同5)。
『政治部の次長が書く文かよ……。小説家か詩人にでもなれ。』(同8)。
『マジで何いってんのかわけワカメ』(同10)。
-----
『とりあえず潰れろ』(典拠12)。
『ブログでやってろ』(同前16)。
『病気。』(同前17)。
『これが新聞???』(同前20)。
『>匿名ブログにひっそり書かれたはずの「保育園落ちた日本死ね!!!」が、言葉遣いが
汚い、下品だなどと批判されつつ、みるみる共感の輪を広げたのはなぜだろう。<
お前らが取捨選択して都合のいいことしか紙面に出さないからだろう』(同前23)。
庵主は、ここでお腹をかかえて笑っちゃった。
「朝日」の「記事」は「きちがいの、じまんばなし」なのかもしれない。
読者から笑い物にされる記事を書いているようでは新聞が売れなくなる筈である。
「記事」というのは「きちんと、じじつを書く」ものなのである。
記事の信頼性を平気で、否、確信犯で裏切ってきた「朝日」はもう何をやってもダメだろう。
『政治部なのにこれなのか政治部だからこれなのか
どっちにしろロクでもねぇな』(同前41)。書くほどに馬鹿にされているのである。
『ようするに、日本死ねはOK、朝日死ねは許さないってこと』(同前25)。
『死刑にしろとは言わんけど 解体はしろ』(同前29)。詰んでいるようである。