2016-05-28 故なしとしない中韓人が吐く嘘
理解できないのである。なぜなら由ってくる歴史が異なるので想像ができないからである。
それが理解できないということは実は幸せなことなのである。
世の中には知っていることの方が不幸という場合が少なくないのである。
そういう不幸は知らない方が幸せなのだ。
たとえば、お酒がそうである。
そこいらで売っている「大関」、「月桂冠」、「松竹梅」がお酒だと思っているうちは
幸せなのである。それで満足できるというのだから。
しかし、世の中には真っ当に造られた本当にうまいお酒があるという事を知ったならば。
そういう旨いお酒を求める事は、良く言えば、好奇心と向上心に満ちた生き方ということに
なるのだろうが、しなくてもいい事をするだけの無為な人生だといえないこともないのである。
好んでまで貧乏をするようなもので、それをやる価値が見いだせないからである。
中韓人が、日本人から見れば「平気で嘘を吐く」様に見えるのには故〈ゆえ〉あるのだという。
『そしてそういう国に生まれ育てば、息を吐くように嘘を言ってでも生き抜かなければなら
なくなることも、理解できようかと思います。』(典拠)。理解してもそうはなりたくないが。
「そういう国」とはどういう国なのかということはリンク先でお読みいただきたい。