2016-05-30 管見
例えば、日本人は中韓人を嘘吐きと思っているが、事情を知ったら、中韓人にとってはそれは
最大の保身術なのである。そうしなければ生きていけない文化なのである。
文化の違い故に、そういう相手とは関わらない事である。ヤクザとはそうするように、である。
例えばこういう光景を見て、その人は浅ましいと思ってしまったのである
『お年寄りの夫婦
男性が「かけ・並」
女性が「ごはん」
薬味ネギを湯飲み茶碗で5杯
ショウガを湯飲み茶碗で4杯
お茶を2杯ずつ
お水を5杯ずつ
どうなってるんだ日本』(典拠)。その人の視野が狭かったのである。管見という。
一部分を見て勝手に誤解してしまったようである。
たまたま、というか、往々にして、まずいお酒に出合ったものだから、お酒全般がそういう
まずいものだと誤解するように、である。庵主にとってはその方が好都合なのではあるが。
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実は、そのお年寄りの食事は、必ずしも間違ってはいなかったのである。
そのお店には、そういう食べ方を推奨するポスターが貼ってあるという。
『丸亀万年湯 ご自由に、ねぎ・しょうが、オリジナル七味を湯飲みにとったら、だしを
注いで完成。かだらの芯から、ぽっかぽか。』(典拠218)と。
『丸亀うどんは一度も食ったことないし
多分一生食わないと思う』(同前346)。
これを読んで、丸亀うどんも食べることができない貧乏な人がいると思うようなものである。
これから先も食べられそうにない不憫な人がいると思うようなものである。管見である。