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201-10-11 悲劇と喜劇が味わえるフツーじゃない趣味

それを、『そもそも[中略]がフツーじゃないのだ』と自覚している所が素晴らしいのだ。
ラーメン好きが、今時のラーメンのスープを「ドブ」と呼んでいるのと同じである。
あんなものばかり飲んでいたら体にいいわけがないと知ってて啜っているのである。
なぜなら、それが「旨い」からである。

そのサイトを見たら、悲劇と喜劇が同時に味わえるのである。
喜劇と悲劇でなく、先に悲劇と、あとから味わえる喜劇が、である。
では、勇気のある人はクリックしてそのサイトに飛んでほしい。
ね、ディスプレイに「悲劇」が展開されるでしょう。横スクロールしないと全体が見れない。

どうやったら、こういう読みにくいレイアウトが作れるものか、庵主には判らない。
と、思ったら、庵主は画面の小さい文字が読みにくいので、いつも画面を拡大して見ている
ので、そのサイトの左右が画面に収まり切れなかったのである。
庵主は、他人の職業・衣装・買物には何も言わないが、それに趣味も加える事にしよう。

プラモ作りは、傍〈はた〉から見ると、『プラモデルなんてそもそも「で、どうするの?」と
いうオモチャである
』が、実は、忘我にひたれる趣味なのだ。殆ど瞑想に近い境地なのだ。
我〈が〉の執着から解放される悦楽の時間なのだ。盆栽のプラモデルには感心するしかない。
そのうち、うまいお酒の瓶シリーズが出てくるかもしれない。「BIN-01」が。

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喜劇の部分は何か、であるが、組立説明書の進化に、そして、萌え化に笑っちゃったのである。
さらに、針葉の芸の細かさに笑っちゃったのである。その芸の細かさに、である。
普通、プラモデルといったら、戦闘機か軍艦か戦車である。精密工業の手工業化の楽しみだ。
盆栽という手工業をトレース(複写)しても意味がないのではないかという思いである。

しかし、趣味者はちゃんと分かっているのだ。
『盆栽というのは自然の力や美しさを鉢の上でコントロールし、大きなモチーフの相似形を
小さなスペースに現出させる遊びである。そもそも似たようなコンセプトである「プラモデル」
という商品形態と相性がいいのかもしれない。
』(典拠)。それは支配欲の成就なのだと。

by munojiya | 2016-10-11 00:03 | 世話物 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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