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2016-10-18 ここまで進んでいるネットの解析
今、三大偽者説というのがある。
一人は今のプーチン大統領で、殺されたプーチンではないというものである。
もう一人のヒラリー・クリントンには影武者がいるということである。
そして最後は日本で、愛子内親王には「影子」がいるというものである。

BMのゆいもあは顔が似ているので、慣れるまでは、どっちかゆいで、どっちがもあなのか、
読みにくいので、ユイとモアは、見慣れるまでは、どっちがユイで、どっちがモアなのか、と
書き改めるが、二人が見分けられないのである。ファンの間にはこんな判別法が言われている。
「狸に似ているのがユイちゃんで、狐に似ているのがモアちゃんだ」というものである。

それで判ったと思っても、舞台で立ち位置が入れ替わった時にはまた判らなくなるのである。
プーチンさんとヒラリーさんはどうでもいいが、愛子内親王の本物と影子の見分け方も
誰か、観察力のある人が教えてくれないものか。
ここにある二枚の写真の最初のが影子で次のが本物だろうと思われるが。

体つきが突然変わるのだという。細い方が影子で、太めが本物。歯並びが綺麗な方が影子で
おちゃめな方が本物。耳の形が違うという決定版があるが、写真ではよく判らないのである。
で、ネットによると、影子の正体は『東宮の影武者創価の娘』と信じている人もいるのである。
そのストーリー(欄外)を買って、庵主は酒の肴にしちゃうのである。お酒がうまいのである。

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庵主の直感的見分け方は、口を結んだ時に、「へ」の字に見える方が「愛子内親王」で、
「愛子内親王似たり」の影子はそれが逆に「V」の字のように口角がやや上がっている。
どうせそこまでやるのなら、皇太子と同妃もそれぞれ、人前に出しても恥ずかしくない似たり
に代えてしまえばいいのに、と庵主は思うのである。

そして、適応障害のある患者さんの治療にとってはもっともふさわしい環境にある日本のある
ところに、皇太子殿下とよく似たお父さんと、皇太子妃に似ているお母さんと、愛子内親王に
そっくりな感じの女の子が幸せに暮らしているという様子があるというのもまたいいのでは
ないかと思うのである。

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で、庵主が買〈きにい〉ったストーリーは『またしても腐れ東宮の影武者創価の娘も化けの皮
が剥がれつつもやっぱり朝鮮帰化人だから図々しい事この上無い餓鬼だ。こんなふざけた
キチガイ東宮家を未だに崇敬する阿呆どもには困った話しだわな。まあ、とりあえずバカ東宮
家が一日も早く消滅する事を神に祈願して余の休日としたい。
』(典拠米)というもの。

神も仏もないのが世の常だから「余」さんの願いはむなしく響くのだろうが。
大体、その「神さん」がまともだったら、こんな問題は起こらないのである。
そういえば、『図々しい事この上無い餓鬼』といえば、韓国の反日映画「鬼郷」に、わざわざ
日本から俳優として参加した女の子もいたっけ。その親にそそのかされたのであろうが。

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by munojiya | 2016-10-18 00:54 | 世話物 | Trackback | Comments(1)
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Commented by むの字屋 at 2016-10-19 13:35 x
★2016-10-19 むの字屋からのお知らせです★
                                      
パソコンの入れ換えのため、当分、ブログの更新ができなくなってしまいました。

今のところ、このコメント欄を使う以外に発信方法がありませんので、とりあえず、こちらに書き込んでおくことにします。

これまで使っていたXP機が作動しなくなってしまいましたので、一気にウインドウズ10機を買うことにしました。

まずは、作動しなくなったXP機のデーターの回復から始めなればなりません。その上でW10の使い方も覚えなければなりませんから、データーの引っ越しが終了するのは、庵主のパソコンの技術力からすればいつのことになるのか見当もつきません。
案外、これがパソコンとの訣別になるのかもしれません。
庵主は、新しい技術を知ってもしようがない老齢〈としごろ〉なものですから。
逆に言えば、過去の遺産だけでも十分生きていけるということです。余生が短いものですから。

美術愛好家は、老齢になると絵を買わなくなるのだという。
買ったところで、自分が死んでしまえばその作品のよさが判る人がいなくなるので、その作品の価値が無になってしまうという事〈むなしさ〉を悟るからだという。

なによりも、XP機の中のデーターが使えないことには、なんにもできない状況ですから、再びパソコン生活ができるようになるかどうかも分かりません。

蓄積されたデーターが使えなくなるということは、パソコン依存症になっていた庵主にとっては、過去の記憶を全て捨てるようなもので、その記憶が再生できないと、新しいパソコンでは、過去の一切の記憶を払拭して別人格で始めなければならなくなります。

便利ということに慣らされていると、それが使えなくなったときにはとっても不便だということです。
 


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