2016-11-23 “長”い言い訳
「久しぶりに遠出してスキーすることにした」
ある日、幸夫[さちお]の髪を切り終えた妻の幸子は女友達と二人でバス旅行に出かける。
「後片付けは、お願いね」「そのつもりだよ」それが幸夫と夏子の最後の会話だった。
物語は冷ややかな関係になっていた夫婦が突然、別れに直面するところから始まる。

「静けさが、もっと骨身にこたえるものだと思っていた」
突然の事故で妻の夏子を失った幸夫。「今後自らを被害者と名乗らなければならないことを、
すんなりと承服することはできなかった」
「自分の書くものの語り口にも制約がかかりそうで、それこそ被害甚大のような気がした」

そのようなことばかりが頭をよぎり、夏子が亡くなったと聞いても涙を流すことさえできず、
幸夫は悲しみを演じることしかできなかった。
その後、幸夫は同じ事故で夏子と一緒に亡くなった女性の家族と出会う。
子供がいない幸夫にとって、自分とは対極にある幸せな一家。』(典拠)。

一字の違いで、その言葉の意味が、あるいはその思いが全然違ってくることがある。
「子供がない幸夫にとって、自分とは対極にある幸せな一家。」としたなら如何。
「いない」ならそれは自分の意志によるものだが、「ない」なら天命・宿命ということになる。
その悲しみの深さが異なるのである。アル添の一滴で深さが異なってくるお酒と同じである。

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たしか、と書き出したのは、それが誰の著書だったかのか記憶が定かではないからである。
なにげなくそれを立ち読みした本屋が神保町の書泉グランデだということは覚えている。
しかし、その小説家が書いたエッセイが誰の書いたものだったかを思い出せないのである。
ここでは仮に「吉村昭」の本〈エッセイ〉だったとしておこう。書名も思い出せない。

立ち読みした本で、今にしてその話が気になっているのにどうしてもその書名が思い出せない
のが外山滋比古の文庫本である。立ち読みした本屋は新宿の紀伊國屋書店の1階である。
何が書いてあったのかというと、人に食べ物を贈ったときの添状に「ご賞味ください」と
書いてあると違和感を感じるというものである。

庵主はその言葉遣いに違和感を感じていなかったからである。
あたりまえの紋切り型の決まり文句だと思っていたからである。
それは商用言葉であって、お店の人が顧客に対していう言葉遣いであって、物を贈る相手に
向かって使う言葉ではないということなのだろうか。もう一度読みたいのに思い出せない。

著者名はわかっているのに、どの本なのか記憶にない本がもう一冊ある。
鶴見俊輔の共著である。その中に、涙なくして読めない一文があったのである。
戦後、日本に復員してきた兵士を駅頭で見たご婦人の思いを書いたものだった。泣けたのである。
で、「吉村昭」のそれは、「は」一文字を題材にして十数頁をものにしたその文章である。

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「幸夫」を「さちお」と読むのと、「ゆきお」と読むのも、漢字で一字の違いだが、そこには
当人の自尊心と矜持を破壊するほどの違いがあるというのである。
「さちお」と呼ぶと、一瞬、場に緊張の空気が走るのだという。
「さちお」はキラキラネームではないが、その苗字との組み合わせがキラキラなのである。

「その名が呼ばれると一瞬にして場が聞き耳をたて、やがて押し殺すような笑い声が漏れるの
であった」
主人公は作家の津村 啓、TVにも引っ張りだこの売れっ子だが大きなコンプレックスがひとつ
ある。

それは本名が『衣笠幸夫』、そう、野球界の名選手と同じ名前。これだけで何かと周囲から注目
を浴びてしまうことになる。』(典拠)。ちなみに名選手の方は「衣笠祥雄」と書く。
病院の待合室で、看護婦が次の患者を呼ぶ声がしたという。
「タムラマサカズさ~ん」。

待合室にいた診察待ちの客が、おっと患者が一斉にその男の方に視線を向けたという。
しかし、そこには似てもにつかぬ男がいたというのである。
そこで、押し殺すような笑いが漏れたかどうかまでは聞いていないが、緊張がほぐれて、安堵の
気持ちが流れたことは分かるのである。

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by munojiya | 2016-11-23 01:31 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
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