2016-11-26 老人閑居して不善をなす
引用の引用、すなわち孫引き、要するに又聞きの受け売りである。
明治以前の日本人は、自由の概念も、平等の概念も、博愛の概念ももっていませんでした。
これらの言葉は、すべて明治維新後に外国語の対訳としてつくられた日本語です。つまりそれ
までの日本人は、こうした考えを持っていなかった。なぜでしょう?

私たちにとって、自由がないこと、平等がないこと、博愛がないことが、彼らのように恐怖の
対象にならない環境だったからです。つまり、その反対のもの、不自由、差別、憎しみや嫉妬、
といったものが日本の環境には希薄だった、あるいは彼らに比べ、ほとんどなかったのです。
典拠)。「自由・平等・博愛」とは要するに不善だというのだ。ない方が望ましい概念である。

どれほど当時の一般フランス人が身分制度でがんじがらめになっていたか、どれほど貧富の
差が激しく、差別が過酷だったか、どれほど人々の間に優しい気持ちが枯渇し、憎しみが全土を
覆い、搾取が度を越し、奴隷的残酷な運命のなかにあったか(つまり極端に不幸だったか)は、
日本人には実感としてわかないでしょう。

想像を絶する不幸が、彼らにあったのです。私たちにはなかった。なぜ?
なぜなら日本人は神代の時代から平和で、他民族の侵略もなく、豊かな自然のなかで、繊細な
人情をもち合って生きつづけてきたからです。(引用終わり)。』(同)。
小人閑居して不善をなす、という。庵主〈ろうじん〉閑居して不善〈ブログ〉をなすのである。

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お酒も不善である。反飲(禁酒禁煙)主義者に言わせれば、ない方が望ましい物である。
いや、不健全なものである。つい、度をこしてしまう魔物だからである。
しかし、不可欠ではないものではあるが、不善と同様に人生のいけない愉しみなのである。
クラブに「倶楽部」と当てた人がいる。庵主はブログに「不善」と当てたのである。

不善というのは、健全の裏面にある信実を覗くことなのである。
見てはいけないものを見てしまうことである。気づかなければ知れない世界を知る事である。
青雲和尚が語る言葉はそれなのである。知らない方がいい幸せをうがつのである。
そういう意味では旨いお酒も亦不善なのだろう。庵主は、知らない方がいい幸せに誘うのである。


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by munojiya | 2016-11-26 00:04 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
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