2016-12-25 風俗劇場
日本はアニメ大国である。
日本製のアニメ映画が世界中の子供を熱狂させているのである。
逆に言えば、日本のアニメ映画が発信している価値観は世界中の賢い少年少女が共鳴する普遍的
なものだという事である。宗教のように人を御布施の寡多を見て差別しないということである。

反日教育で育てられた中国や南鮮の少年少女もまた日本のアニメは好きだというのである。
異教徒からの反論の声も聞いたことがない。例えば、日本のアニメ映画は反イスラムだ、とか、
キリスト教の教義に反する悪魔のアニメだ、といった声は聞こえてこないのである。
親がそう言っても、子供はこっそり日本のアニメ映画を見て喜んでいるのである。

アニメ以前に、日本は漫画大国である。
きっかけは手塚治虫ということでいいのだろうか。漫画の表現力を格段に高めたのである。
しかし、日本の漫画の歴史は戦前の「のらくろ」や「冒険ダン吉」からもあるのである。
手塚治虫はそれに磨きをかけただけなのだろう。萌えと漫画は日本人のユーモアなのである。

外国の漫画の基本は1コマ漫画だという。政治風刺に使われる。
そういう皮肉をユーモアと呼ぶらしい。日本では4コマ漫画という技法がある。起承転結である。
新聞の漫画がそれである。こういうことも4コマ漫画で表現できるのである。
お酒も起承転結なのである。まず色を見て、次に香りを感じて、味わって見て、最後は酔っぱらう。

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この漫画の場合の起承転結は、「まず勃して、それをって、寝がって、合する」と
いった按配か。
南鮮では、庶民の人生を「起承転鶏」というのだと読んだことがある。
最後はみんなチキン屋になるというのである。

庵主は南鮮の事情には疎いので、そのチキン屋というのがどういう商売なのかよく分からないが
唐揚げ屋か、ケンタッキーフライドチキンみたいな商売なのだろう。
南鮮は退職年齢が早いので、その後の生活をしのぐために、資本がいらないチキン屋を始める
人が多いというのである。出世できなかった庶民の行き着く先が鶏〈チキン〉屋だというのだ。

本来の起承転結は、まず「起」で舞台設定を提示し、「承」でその話に色を付け、「転」で
意表をついた展開を見せて、「結」で粋なオチで落とすという話の流れをいう。
京都三条の糸屋の娘(起)
姉は十八 娘は十五(承)[「妹は十五」でなかったか]

諸国大名は弓矢で殺す(転)
糸屋の娘は目で殺す(結)』(典拠)というのがその模範例とされている。こんな感じである。
「生まれた所が南鮮で、奮闘努力の甲斐もなく、出世した者はおだを上げるが、落伍した人鶏唐
を揚げる」というアンハッピーエンドの物語を「起承転鶏」と呼ぶのは南鮮人のユーモアである。

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by munojiya | 2016-12-25 00:02 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
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