2016-12-27 新聞を読んで・「ありがとう」の反対語
庵主は、今、新聞を取っていない。加齢で活字にピントを合わせるのがつらくなってきたからだ。
日本人は、他の先進国に比べて新聞の信者数の割合が異常に高いと聞いていたものである。
他の国では、新聞が書いている事なんか少数の人しか信用していないのに、日本人は新聞記事を
信用する人が多いというのである。米の新聞でさえ、ヒラリー当選と大嘘を報じるざまなのに。

しかし、最近の調査では、日本人も新聞なんか読まない人が増えてきたと聞いている。
暇な年寄り世代の購読率、というか閲読率は高いが、多忙な若い世代は日常的には新聞を読んで
いない人が多いというのである。細かい数字は忘れたが、ネットで検索すれば出てくるだろう。
もし、それがネットで検索できなかったら、それがネット情報の限界だということである。

新聞の情報も役に立たないが、ネットの情報もその程度だという事である。民度に比例するのか。
情弱が手にいれることができる情報はそんなものだということである。
譬えるならば、大した旨いお酒は呑んでいない、いな、飲まされていないという事である。
情弱というのは、情報を知らないという事ではなく、量はあってもその質がよくないという事だ。

庵主が、今、新聞を読んでというときの新聞とは「聖教新聞」である。新聞といっても宗教団体
のチラシである。取っているのではなく、信者からご恵贈賜っているのである。
「ありがとうの反対語は何か」という記事があった。学会的には「どういたしまして」だという。
ところで、「廃仏派」の反対語は何か。「崇仏派」だという。「尊学会派」ではなかった。

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by munojiya | 2016-12-27 00:04 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
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