2016-12-29 「君の名は。」を年寄りに勧めてもいいか問題
「君の名は。」を年寄りに勧めてもいいか問題というのはこうである。
新海誠監督のアニメ映画「君の名は。」が今、若者の中で大ヒットしている。
さて、そういう映画をご老人にも観る事を勧めてもいいものか、という不安である。
年寄りは、アニメを観て喜べるのだろうか、という疑問からである。

余計なお世話なのではないかという若い人の年寄りに対する思いやりのことである。
老い先短い人生を、つまらないものに浪費させることになるのではないかという危惧による。
でも、自分が観てこんなに楽しかったのだから、その喜びを少しでも多くの人に分け与えたいと
いう抑えがたい親切感の発露をどうしたらいいものかという問題である。

庵主も、アニメと聞いたら、身構えるのである。
2時間尺のそれに果たして耐えられるだろうかという不安がよぎるからである。
いうなれば、うまくもなんともないお酒を、おいしいよといって勧められたときに、果たして
それに耐えらるだろうかという不安と同じである。うまそうな顔をして呑めるだろうか、と。

そんなつまらないことに時間を捨てる勇気はあるかということである。
老い先は短いのだから。かといって残りの時間を大切に使っているかというとそうでもないのだ。
上の問題の回答は、「勧めて良し」だという。
この映画を観て何も感じない年寄りがいたら、もう生きている価値するらないというわけである。

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なかにはこういう不幸な人もいるのである。
先程君の名はを観ましたが、全然感動したせんでした。[原文どおり]』(典拠)。
それは50代の女性だという。
「それ、老化現象でしょう」でおしまい。着実にその日に向かっているということです。

鬱病になると、食べ物の味がわからなくなるという。
接待で、緊張して呑むと、いくらいいお酒が出てきても味がわからなくなるようなものである。
過度の緊張や、病状に陥ると、うまいまずいを判断することができなくなるのである。
お酒が旨いとか、食べ物が美味しく感じるときは幸せなときだということである。

「全然感動したせんでした」の人は実は大いに感動していたのである。その述懐。
質問した人からのコメント2016/10/21 04:22:42
今の日本かなりレベル低下ですね。この程度の映画に号泣とか、社会現象とか。バカバカしくて
考えたくも無いです。[庵主の場合は泣ける映画を目薬がわりにしているのである]

まぁ暇と言うか、ガキというか。戦争にでもなれば、イチコロですわ。文豪の作品を読んでいな
い。ワーキャーで即お終い。涙も怒りも悲しみも笑も全て浅い浅い。文学性、芸術性に乏しい。
こんな感想に更に深まりました。しっかりして欲しいものです。甘ちゃん日本。』(同前)。
そのタイムスタンプを見ると、その人が今不健康な境遇にあることは見て取れるのである。

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庵主が書かなかったことを、言ってくれる人もいるのである。
あなたのような方には江川さんの漫画が合っているのかもしれません。』(典拠)。
これは皮肉だろう。引用文の中にリンクを張ったのは庵主の仕業。行数を減らすための処置である。
江川達也は「君の名は。」を認めたくない派の筆頭だからである。後追い同士もいるのだ。

次のは質問者の不健全な生活による症状に対する指摘である。
字も満足に打てないんですか? 同年代として恥ずかしくて読めませんな。』(同前)。
質問者は満たされない生活を送っているためにストレスで映画が楽しめなくなっているという
ことをその症状から解析しているのである。人は健康でないと物事が味わえなくなるのである。

世の中には庵主の想定外の発想をする人がいるのである。
逆に言えば、庵主の発想は枠が狭いということである。
本を読んだり、映画を観るということは、自分の枠を超える発想に触れるということである。
次連のような指摘はちょっと気になったのである。そういう見方もあるのかと。

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非常に論点が多い映画ですが、例えば三葉のノートに書かれた「お前は誰だ」は、そのまんま
認知症の問題などにも繋がります。
自分自身が何者かわからないというのは、思春期の若者だけでなく、全ての世代が抱える
アイデンティティの問題であって、決して「セカイ系」なんて一言で片付く事ではないんですね。

そういう意味では、単なる映画の消費者ではなく、自分の人生を作る養分として取り入れると
いう態度を取りたいです。
まあ、新海監督が次回作つくるなら、やっぱり観に行きますけどね。』(典拠)。
映画は養分だというのである。そして「君の名は。」は若年性認知症の映画だとも見れると。

若い男と女の同時認知症という架空の病気があると想定すれば、この映画の矛盾は何もなくなる
のである。
かつて起こって一村全滅の隕石落下事件も、認知症による共通幻想だったのである。
そして、今、二人が街で出合っても、相手の名前が判らないのは、お互いに認知症だからである。

そうやって見ると、この映画は喜劇になってしまうという、なんでも映画なのである。
「君の名は。」を何度も観るという人は、頭が悪いから一度観ただけでは理解できないという
わけではなく、映画の情報量が多すぎて、すなわち『非常に論点が多い映画』なので、1回観た
だけでは消化できないからなのである。庵主も神楽の舞の場面はもう一度観たいのである。

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そして、糸森町は彗星の落下で全滅して、その時三葉は死んだはずなのに、映画のラストシーン
ではなぜ三葉は生きているのかという矛盾も、“きれいに”解説してくれる人がいる。
この世には、いくつもの世界が平行して存在していて、映画は糸森町が全滅した世界から、
全滅しなかった世界に途中から入れ替わっているのだというのである。

すなわち、この映画のストーリーは一本の列車でつながっているのではなく、途中で別の列車に
乗り換えて続いているのだというのである。
その乗り換え地点が、三葉の口噛み酒を瀧が呑む場面なのだという。なるほど。
そうするとまた矛盾が発生するが、その解明はまたのお楽しみという延々と楽しめる映画なのだ。

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デジタルのネット時代になると新作映画が簡単に違法に複製されてネットにアップロードされる
のだという。
日本人はそれを違法だというが、中国人は平気なのだという。
その言い分はこうである。

中国ではまだ公開されていないから、違法ではあっても、それが唯一その情報を手にいれる方法
なのだからいたしかたがない。いうならば緊急避難で、形式的には違法であってもその場合は
違法性を阻却されるべきである。その事は映画を商品としたら営業妨害、文化としたら融通無碍。
需要があるのに供給しないのは、またできないのは作り手が悪いともいえないことはないけども。

「君の名は。」も早速その洗礼を受けたという。
2016/9/28 21:20:19[映画の国内公開は8月26日]
君の名はの映画がフルで公開されてますが、動画視聴は違法なんですか?
ダウンロードが違法なことは知っていますが。見るのもアウトですかね』(典拠)。

法律を調べましたが見るだけなら合法のようですよ。』(同前)。
蛇の道は蛇である。
gogoanime.ioでKimi no na waで出るよ』(典拠)。
今も観ることができるかは判らないのである。

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「君の名は。」に関してはこういうネタもある。
「君の名は。」新海誠監督が○○出身を隠さないワケ』(典拠)。
庵主は、監督の出身が「破戒」の長野県だと聞いていたので、「〇〇」には、ためらわず
「部落」と入れてしまったが、正解はちょっと違っていた。“部落”には違いなかったが。

その出身は、人前では「〇〇」としか書けない業界〈ところ〉だったのである。
その「業界」もルビを振るなら「ぶらく」だろう。「大っぴらにはいえない」という意味である。
それでいえば芸能界はその多くが「ぶらく」者によって占められていると聞いているのである。
その場合の部落とは「在日チョウセン人社会」のことである。世に貴賤の種は尽きまじである。

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by munojiya | 2016-12-29 00:03 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
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