2017-04-01 信者とはよく言えばワガママな人
日本人の信者を見る目はクールである。
なんの用があるものか、わざわざ日本にやってくるイスラム教徒がいるというのである。
異教徒が他国にやってくるのは、かつてのキリスト教徒がそうであったように、侵略目的以外に
考えられないのである。そういう人を英語で言えばテロリストということになるのだろう。

そんなものを観光客と称して安易に受け入れようという“日本人”がいるのである。
排斥が正義である。
宗旨が異なる異教徒は無用に社会の混乱を招く原因になるからである。
宗教の本義は、「異教徒の排斥による徹底的な差別」にあるのである。

宗教とはそのものずばり「ヘイト」の事なのである。
関空にはイスラム教徒を安易に受け入れる施設があるという。
「祈祷室」があるというのだ。しかもそのレストランでは、イスラム教徒しか食わない
ハラル料理を用意しているというのである。郷に入ったら郷に従うのが筋だろうにが。

日本に、自分勝手な習慣を持ち込んでもらっては困るのである。ハッキリ言って迷惑である。
在日チョウセン人が嫌われているのは、それだからである。
信者というのはよくいえばワガママな欠陥人間のことである。はっきりいって独善なのである。
酒を飲んではいけないという信者が日本にそれを布教する事を受け入れられますか。無理である。

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ザビエルが、日本にキリスト教を持ち込んだときに、閉口したという。
自分の信じるものがガタガタと崩れていくのを感じたという。
自分が売っている宗教ができそこないの商品だという事を気付かされたからである。
日本人は、そんな粗悪な商品を見向きもしなかったという。

「日本では宗教差別をしない」と喜んでいる人が、自国では恐らく他宗教を差別している事実
な。』(典拠米)。
信者とは差別大好きの道を選んだ人達なのである。
当然、相手からも同様に差別されても文句は言えないのである。
それは自分が相手に対してやっていることだからである。

てかさ……他人の家に遊びに来て、やれ何が食べれない やれ私の家ではそれはしないとか
言う人に遊びに来て欲しいか?
他人様の家に御呼ばれしたらその家のルールに従う、それが出来ないなら自分の家に籠って
外に出るなって話、特に海外旅行は自分の知らない価値観や暮らしを見て楽しむ物だろ?

その根本も理解出来ず自国の言葉や習慣・宗教を持ち込むなって思う。』(同前米)。
だからって、日本に移住とかしないでね! 自分たちの教義と合わないと、法律、社則を無視
するのは日本に住めませんから。』(同然米)。
「移住しないでね」という部分は、日本在住チョウセン人にも聞かせてあげたいのである。

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信者をクールにみているのは、庵主だけではないのである。
ムスリムが憧れる日本っておかしいだろ、空虚な毎日を送ってる証拠だ。
イスラム教に対する誇りはないのか。』(典拠米。以下も同じコメント)。
日本にやってきて、日本が素晴らしいという外国人は自国に誇りがない人達なのかもしれない。

豚肉を否定するムスリムとか、おもてなしする側の日本の食生活では、面倒くさいんだよ。
おいしい豚カツをご馳走しようという「お・も・て・な・し」ができないではないか。
それは日本人の気持ちを踏みにじるということなのである。
中華人民共和国の口癖で言うなら、外国人の無礼は「日本人の心を傷つけた」ということになる。

神は全てを許すのに、ムスリムが特定のものを拒むと言うのが差別そのものなのだ。』。
案外、その「神」こそが差別の根源なのかもしれない。
だからイスラム教は神の教えではなく、メシアの教えなのだ。
イエス釈迦イエスなどをメシアと言う。彼らは神に近づいた人であって神ではない。

ムスリムでも絶対神を信じるならば、マホメットの言葉ではなく、全てを差別しないアラーの
言葉に耳を傾けろ。メシアは神の代弁者、霊媒師に過ぎない。だから絶対神を信じている人は、
どんな宗教宗派に対しても差別なく寛容なのだ。』。
教祖というのは神を騙るペテン師の事なのかもしれない。そんなものを信じる人は、以下省略。

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by munojiya | 2017-04-01 00:02 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
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