国酒
国酒の国(こく)は国技の国だろう。
つまりわが国の酒ということである。
では言葉あそびをはじめよう。要するに思いつきである。
邦楽という言葉がある。邦(ほう)はわが国ということである。
同様に日本をいう言葉に和服の和(わ)がある。
国語辞典の国(こく)も日本ということである。
庵主の邪推だが、邦、和、国はこの順番に地位が高くなるようである。
邦画とか邦楽は目や耳に訴える芸である。体の外にある芸である。
和服は肌に訴える芸である。体にくっついた芸である。
国語は頭に訴える芸である。体の中にしみてくる芸である。
頭は体の上にあるからではないだろうが上下の序列があるようである。
お酒は国酒というからこれは頭なり心に訴える芸である。
だからわが国におけるお酒の文化的地位は高い。
お酒がわかるということは知的な作業であるということである。
庵主は多少はお酒がわかるのである。
和酒とはいわないが、百貨店では和洋酒売場とあって、
酒に和が使われることもあるが、
その場合でも邦洋酒とはいわないところが微妙なところである。
以上は思いつきで書いたものだから信じられないように。
国技の大相撲が低迷している。
横綱が外国人に乗っ取られてしまったのである。
だんだん外国人力士が増えつつある。時代は代わりつつあるのだ。
国酒はいち早く戦後外国産のアルコールを添加するするようになった。
国(こく)の一途は看板と中身がだんだん合わなくなっているようである。
国酒はしかし、日本酒だけではなく、焼酎もわが国の酒の精華である。
両輪相まって国酒は実は健全なのである。
日本はもともといろいろ混ざり合っている国だからである。
総理大臣が代わると
色紙に「国酒」と書くことが習わしになっているようである。
酒造組合中央会あたりがお願いして書いてもらっているのだろう。
蔵元さんを訪問すると事務所にその複製が掛かっていることがある。
憲政記念館に行くと歴代総理大臣のその色紙が並んでいる。
見て大笑いは竹下登総理のそれである。三増酒みたいである。
堂々は森喜朗総理の「国酒」である。純米大吟醸の風格がある。
筆跡は見かけによらないものである。
戦時中の国会を傍聴(圧力か)しにきた軍人の傍聴者名簿の署名を見ると
いずれも毛筆でしっかりした筆跡である。
それと総理大臣の「国酒」の墨痕を見比べると
「国」の低落をまざまざと見せつけられる思いがするのである。
それが人類の歴史にそった流れなのか、
ただ単にわが国の長期低落傾向を示しているものなのかはわからないが、
進歩というのが、軽く、浅く、早く、柔らかくなっていくものだとしたら
せっかちなことだと、庵主はゆっくりとお酒を呑みながら思うのである。