元マラソンランナーの高橋尚子の話である。
あまり走りすぎると、狂うらしいのである。パチンコに、である。
『依存症である人間ほど
「たまにしか行かない」と否定するものです。』(
典拠1:23)というのが可笑しい。
いまやパチンコ依存症の女患者をやっているというのである。
ネットの噂なので真偽を知る由もないが、酒を呑む時の魚〈じかんつぶし〉にはなるのである。
パチンコ依存症をアルコール依存症に書き換えても症状が似ているから、話を続けよう。
続けるといっても、庵主が話をするというのでなく、引用を続けるということである。
『やめられないと認めてしまうと
さらに歯止めが利かなくなるからです。』(同1:30)。
『ギャンブル依存症というのは精神疾患ですし、
どうしてもやめたいなら通院する必要もあります」(精神科医)』(同1:34)。
『しかも高橋のは愛は会話のなかにもパチンコ依存の兆候が見えかくれするという。[中略]
複数人で、みんなが知っている共通の話をしているときにもパチンコの話をしたがるのです。』
(同1:45)。お酒の話がしたくなったら「依存症」の初期症状みたいである。
「たまにしか行かない」を「(パチンコ)球にしか行かない」の駄洒落にとって笑ったのである。
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これがもっと可笑しい
『ミサイル費用の積み立てに勤しむ国民栄誉賞受賞者』(典拠米)。 みんなパチンコですったお金がどこに流れて行くのか分かっているのである。
『誰かが、言うてた、金メダルでは、飯は、喰えぬ。』(同前米)。
『プロになってサポートチーム雇って海外練習で高地で走ってるまでは聞いたことあったが
パチンコ依存ににはしったらどうにもならないよなあ[原文どおり]』(同前米)。
走る道が変わっただけだというのである。
『現役時代は自分に賭けていたんですか?』(同前米)。やってることは同じなのだと。
観点が異なる人もいるのである。
『画像のQちゃんで思わず抜いてしまった。歯茎舐めまわしたい。』(同前米)。
そうかアスリートは歯並びを見るのか。
明眸という言葉はあるが、明歯とは言わない。敢えていうなら「明眸美歯」か。
いや、「明眸皓歯」という言葉があった。「皓」の字ともかく「歯」の字が問題なのだ。
「歯」という漢字がちょっと美的でないから「皓歯」では「清らかなドブ」というような
違和感を感じるので「皓歯」もないのだ。「歯」に代わる「歯」をいう漢字はないものか。
お酒を味わうときに「舌に乗せる」の「舌」も庵主には「歯」に通じるものがあるのである。