あの石川さゆりでさえ唄えないのである。その歌が。
『うーん 違うんだなあ』(その米)。
はっきりいって全然違うのである。というより最初から諦めている唄い方をしている。
次は
八代亜紀である。『
やめたほうが良かったみたい』(その米)。
この二人が唄うと演歌に聞こえるのはしょうがないか。
歌は、顔の良さだけでは唄えないのである。その点では
この人も同じである
(欄外も)。
坂本冬美ならどうか。『
ちょっと 無理かな。』(同前米)。演奏はいいのに。
そして、いまでは
本人もそれが唄えないのである。しかし、ファンの言葉は優しいのである。
『このひとでないと、歌えない味がある。プロの味はすばらしい。』(同前米)。
『
こういう歌手と歌に同時代を共有出来た人を羨ましいと思います。』
(典拠)。
『この頃の歌い方がいいですね。可憐、妖艶が同居しているね。声が好きだね。透明感、艶っぽさ
お酒にも、酒銘は同じなのにすっかり味が変わってしまうことがある。
そのお酒がうまくなっていたとしても、最初に出合った時の味の面影がないのは寂しいのである。
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その人、すなわち松田美穂の別の歌ならこうなる。良し悪しというより好き嫌いになるが。 『オリジナルの男性歌手よりもこの方の歌い方が好き
この曲はこんなよい曲だったんだ』(同前米。以下も同じ)。
『平さん本人よりも、松田さんのカバーの方が感情が伝わってきて お気に入りの名曲』。
たしか、この歌は最初は女性歌手が唄うということが企画された筈である。
『平浩二さんの代表曲なのですが、
じつはあのシンシア事、南沙織さんが歌う予定だったのが
いわゆる、大人の事情で急きょ変わったと、何かで読んだ事があります。』という話である。
『ご自身の持ち歌のように、何の違和感もなく聞けます。
きっと素晴らしい、歌唱力のせいなんでしょうね。』。
『松田さまの歌唱もちろん最高。私、キーボードの伴奏の方々、編曲および演奏中の雰囲気、
大好きです』。アレンジは面白いが、伴奏なのに歌に沿っていないように聞こえるけれど。
歌は「心」にどう響くか、だよ! 音程とか、ピッチ、? きれいに歌ったら面白みがない
と思うし、てか、演歌好きな人はわからないでしょうが、この人相当うまいよ。そもそも、
いい歌なのではじめから「演歌」歌手に歌って欲しくなかった。』。亜樹ちゃんには敵わない。